本と映画と政治の批評
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『ハウルの動く城』(5) - 宮崎駿と資本主義的アニメ経営
b0018539_15561769.jpgテーマもメッセージも不明で不可解なこの映画を、宮崎駿は一体何のために製作したのだろう。現在、ネットでの評価は賛否両論真っ二つに割れている。否定派はストーリーの破綻を指摘して納得せず、肯定派は映像美を評価して満足すべしと主張する。公開が始まったのが今からニ週間前の11月下旬で、したがってこの娯楽商品のマスボリュームのカスタマが映画館に殺到するのは、試験休みから冬休みにかけてのこれからのシーズンになる。いまブログや掲示板にコメントを掲載しているのは、主に熱心なジブリファンや映画ファンの趣味の人たちで、言わばアーリーアダプターのセグメントに所属する部分なのだろう。この時期にこの客層で評価が分かれている事態に直面して、あるいはスタジオジブリや日本テレビの関係者は危機感を持ち始めているのかも知れない。果たして興行成績で目標となる前作に並ぶことができるのだろうか。原作の『魔法使いハウルと火の神』は早速ベストセラーになって、書店のランキング上位に躍り出た。



b0018539_1512106.jpg映画を一回だけ見た観客として実感を率直に言えば、今回の作品に宮崎駿の作家としての動機や熱意はあまり感じられない。敢えて動機を探り取って説明するとすれば、それは企業経営者としての動機であり、すなわちこのタイミングでの売上と利益、そしてラインを中断なく稼動させることなのだろう。ジブリはニ年に一度のサイクルで新作を公開してビジネスを回転させている。CEOとしてはこの資本回転のサイクルを遵守する責務があり、事業計画を変更するのは具合が悪いのだ。市場関係者もこの周期を期待しているし、パートナーである読売グループがこのビジネスサイクルを固定的に構造化させている。もしそれが会社間で契約されたものであれば、宮崎駿も経営者としてその納期を守らざるを得ない。分業と協業の大きな工場で、恰も工業製品をベルトコンベアで生産するように、新製品のアニメ作品を設計開発製造している。ジブリのアニメ製作は芸術家の独創的野心ではなく、資本の蓄積と循環の論理が支配しているのではないか。

b0018539_15122694.jpgマイクロソフトは数年周期で(使い勝手を適当に変えただけの出鱈目な)新製品を市場に出す。そして全世界で一挙にボロ儲けをする。競争相手が絶無だから、儲けたい金額を儲けたい時期に稼ぎ取る。ユーザは税金を定期的に強制徴収されているのと同じだ。ジブリもマイクロソフトのビジネスに近いイメージが若干ある。子供は絶対に見たいと言う。ジブリを見ない子供は学校でいじめに遭うかも知れない。親は子供にジブリ映画を見せざるを得ない。宮崎作品は日本の義務教育の必須教材であり、家計の支出としてマストの消費財である。市場に競争相手は存在せず(ハリポ?)、地位を脅かすものはなく、文科省も恐懼して追従する日本の文化的支配者の一であり、そして前頭葉をジブリ漬けにされた子供たちと母親たちは、ジブリが隔年供給する文化商品を常に言い値で購入し消費し続けなければならない。銭儲けだけが開発と出荷の動機になったマイクロソフトの新製品は、この十年間、ユーザにとって煩いの種になり、搾取と収奪の象徴となっている。

b0018539_15124422.jpgジブリのアニメを義務的な教育材として定期購入する生活をわれわれ日本人は暫く続けるだろうが、そしてまたアニメに輸出商品としての期待を託して贔屓することを続けるだろうが、しかし、今後の宮崎作品の出来如何によって、スタジオジブリはマイクロソフト的なマイナスシンボルに転化する可能性を十分に孕んでいる。国民が宮崎駿に対して持っているものは絶賛と崇拝の念だけではない。それは半分であり、一方にはどことなく信用できない怪しさや疑わしさも同時に嗅ぎ取っているはずだ。宮崎駿には手塚治虫に寄せるような全面的な信頼感を持てない。『もののけ姫』完成後に、もうこれで最後だと公言しておきながら、素知らぬ顔で相変わらず商売を続けているのは何故なのか。(子供たちに影響力のある)作家の態度として無責任ではないのか。前言撤回について何の弁明も聞いていない。手塚治虫は人前で決して弱音を吐かなかった。命を削るようにして創作の格闘を続け、ある日突然、音も立てずに倒れてわれわれの前から消え去った。

b0018539_1641639.jpg文化勲章をぶら下げる暇もなかった。手塚治虫には資本主義の臭いがしない。そのかわりにロマンティシズムの哲学がある。ベートーベンのような神聖なイメージで完結している。だから神様として崇められる。絵も宮崎駿より数段上手いと私は思う。手塚治虫の天才から較べれば宮崎駿の絵は凡庸だ。世の中は確かに資本主義一色の時代になった。頭のてっぺんから足の爪先まで資本主義者にならなければ生きていけない時代になり、少しでも資本主義の信仰が揺らぐと負け組に転落して人生を失う時代となった。巨匠宮崎駿も若い頃は労組書記長として資本主義に異を唱えた挑戦者だったはずだが、今は資本主義の教義を原理主義的に実践して、その方面でも日本の子供たちのよき教育指導者となっている。若い頃に左翼的立場で激しく旗を振った者ほど、その立場を捨てた後に、見事な資本主義者となって権力とメイクマネーに血道を上げる。その不気味と言わざるを得ない転向者たちの(文化商売)カンパニーが読売グループなのだ。
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by thessalonike | 2004-12-06 23:30 | 『ハウルの動く城』 (8)   INDEX  
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