本と映画と政治の批評
by thessalonike
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『ハウルの動く城』(7) - 星の湖の効果音はレマン湖で録音
b0018539_14155094.jpg『ハウルの動く城』についての論議が続いている。公開からずいぶん時間は経ったが、作品への評価は特に好転した様子はない。ネットの掲示板では「二度以上見るべき」論が以前とくらべて少し減ったように感じられる。初期のコメント投稿者は熱狂的なジブリファンも多かったのだろうが、読売グループが世論操作のために積極的に動員をかけていた印象も拭えない。宮崎アニメはビッグインダストリーであり、下働きするサラリーマンから始まって、出版社、評論家、大学の助教授まで、『ハウルの動く城』でこの冬のボーナスを手にしている頭数は実に多い。三年に一度の稼ぎどきなのである。が、宮崎アニメの「二度見て当然」神話も、今回の作品で翳りを見せることになるかも知れない。感動的な作品だからこそ「二度見て当然」なのであって、わかりにくい作品を理解し解釈するための「二度見て当然」なのではない。そう考えるお客はいない。そこまで行けば、まさに宗教の話になってしまう。映画は基本的に一回勝負の娯楽なのだ。



b0018539_14275011.jpgパンフレットを読むと、今回の作品ではスタッフが効果音作りに拘って、わざわざヨーロッパまで出かけて、フランスで街頭の音を録音採集してきたとか、星の湖の音はレマン湖で録った水の音だとか書いてある。ジブリらしいプロフェッショナルな拘りようだと評価されると思ったのだろうか。水の跳ねる音などレマン湖だろうが諏訪湖だろうが同じだろう。観客は別にレマン湖の水の音を聞かされて映画を面白いと思うわけではない。星の湖の場面は、破綻したストーリーに時制のエクスキューズを塗り付ける「重要な」場面で、観客は懸命にハウルとソフィーの会話に耳を澄ませている。意味解釈の情報処理に神経を集中しているのであり、観客にとっては、あの場面の前後が映画に対して理解を試みる最後の機会なのだ。そんな場面で、水の音がレマン湖の音だからリアルで、芦ノ湖の音だから不自然だとか、全く関係ない話だろう。勘違いも甚だしい。ここにこそジブリの堕落がある。

b0018539_14162192.jpg本当は単にスタッフがヨーロッパを観光旅行する口実が欲しかったのだろう。与えられた膨大なバジェットを消化する目的もあって、尤もらしい適当な製作上の理由を作って、スタッフが贅沢な出張旅行を楽しんできただけだろう。製作費のデカい映画には付き物のよくある話である。だが問題は、そのような話をパンフレットで堂々と紹介して、観客に向かって自慢しているスタジオジブリの倒錯したバブル的感性で、そういう裏話の披露で人を説得できると考えているクリエイターの常識が疑われる。『ハウルの動く城』は、何から何までそのような独善と自己満足で出来上がっているように見える。映画作りの謙虚さがないのだ。最初から客が来るものだと確信していて、成功を当然視している。宮崎駿のブランドで読売グループが売り捌けば、同じ成功を何度でも無限に繰り返せると達観している。ジブリが心配しているのは、僅かに海外での評価だけで、日本国内については観客を完全にバカにして、読売の物量宣伝に任せきっている。

b0018539_1416347.jpg一方に神格化された宮崎駿のカリスマと売れるパターンがあり、さらに金熊賞とオスカーの紋所の後押しがあり、そして他方に宮崎ブランドなら何でも嬉しそうに涎を誑しながら財布を叩いて金を貢ぐ日本の消費者大衆がいて、その二つの間で、笑いを堪えながらメイクマネーするジブリと読売の関係者が傲慢にならない方が不思議かも知れない。彼らが恐れているのは、日本での悪い噂が海外に漏れ伝わることで、海外で悪い結果が出ればインダストリーが深刻な事態に直面する。そのために「売れた売れた」と躍起になって強調して、映画の「成功」を現時点で既成事実化しようと必死なのだ。ネットでの賛否両論は明らかに彼らにとって予想外のハプニングだろう。噂では、日本の観客の前では映画について口を開こうとしない宮崎駿が、わざわざパリまで行って国内での不評に対する憂さを晴らしているらしい。劇場公開時に舞台挨拶に出て来なかった理由は、ジブリの内部で仕事のスケジュールが詰まっていたためだと言う。

b0018539_14164729.jpg嘘に決まっている。作品の出来に自信がなかったから隠れていたのではないのか。内部では、何やら今後予想される不本意な事態に備えて責任の押しつけ合いが始まっているようにも見える。シナリオ制作者が途中で逃げ出したのを宮崎監督が引き継いだのが問題だったとか、鈴木敏夫のマネジメントが悪かったのだとか、宮崎駿を失敗責任から隔離する予防措置が講ぜられつつある。最初の議論に戻るが、水の効果音のリアル感とか、そういう細部に拘ってくれるのは結構なのだが、観客が細部に注目して感動と発見を得るためには、細部に注目できるほどに基本のところで安定と余裕を持ち得ていなくてはいけない。ストーリーに対する安心と納得があって初めて、観客はディーテイルに関心を払ってそれを堪能することができる。細部ばかりに拘って基本を疎かにした映画は作品として不毛なのであり、単なる製作者の自己満足に過ぎない。内輪だけでウケて盛り上がっても仕方がないのだ。ストーリーの解釈は自分で勝手にやれと外国の観客にまで言うのだろうか。

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by thessalonike | 2004-12-02 23:30 | 『ハウルの動く城』 (8)   INDEX  
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