本と映画と政治の批評
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韓国映画『ブラザーフッド』 (3) - 朝鮮戦争の戦場   
b0018539_2341023.jpg『ブラザーフッド』は単なる戦争映画ではなく、朝鮮戦争という巨大な現代史を正面から捉えた民族のドラマとして定義するべきだと思うが、朝鮮戦争の全体像が描かれながら、その視角は常に下から、民衆の視線からのものであり、この点にカン・ジェギュ監督の独自の方法がある。方法とはすなわち哲学であり信念だ。監督は朝鮮戦争の過程を厳密に追跡しているが、映像の中には李承晩も金日成もウォーカーもマッカーサーも登場しない。朝鮮戦争に関わった権力中枢の人間は映像化されることなく、偶然に徴兵された無名の若い兄弟が従軍して戦場を遍歴する姿を追いかけながら、朝鮮戦争の全貌が映し出される構成になっている。あくまで人間のドラマとして民族の現代史を映画作品にしようとした監督の営為と執念であり、そしてそれは結果として見事に成功を収めている。



b0018539_22492914.jpg映画人としてのカン・ジェギュの確固たる信念の表出と勝利。この映画に安易に李承晩やマッカーサーの配役あるいは実写を持ち込み、上の政治の世界を見せていたならば、作品は懼らくヨリ軽薄なものとなり、篠田正浩の『スパイ・ゾルゲ』の如き空疎な紙芝居になっていたに違いない。篠田正浩などとは根本的に才能と気迫と哲学が違う。兄弟の従軍と転戦に全てが不足なく描き込まれている。それは単なる戦争犠牲者の姿ではない。偶然に戦争に巻き込まれた善良な民衆が、戦場で敵と遭遇して戦闘を繰り返す中で、冷酷非情な戦争人格となり、残忍きわまる虐殺執行者と変わり果てて行く。戦争被害者から戦争犯罪者へと人間が変わる。その変貌がリアルに辿られ、戦場と戦争の真実が観衆に突きつけられる。偶々敵兵となって立場を分けた同じ同胞を残虐非道に私刑する。

b0018539_2249429.jpgこの映画の主題は朝鮮戦争だが、特に力点が置かれているのは朝鮮戦争の戦場映像である。一言で言えば、この映画は朝鮮戦争の戦場を再現して見せた作品だ。戦場のシーンは韓国軍が半島南端に追い詰められた洛東江防衛線の戦闘から始まる。映画が始まって10分か15分経った頃だろうか。突然、兄弟が寛いでいる部隊の頭上に夥しい砲弾が落ち、何の予告もなく凄惨な戦争劇が始まる。砲撃された兵士から肉が捥げ、血が噴き、首から上が黒く焼け焦げて煙を上げている人形のようなものがのたうつ。兄弟はそこで初めて本物の実戦を経験し、観客もそこから戦争モードに入る。酸鼻きわまるリアルな戦場の映像に絶句させられるが、映画全体からすれば、しかしこれはほんの序の口に過ぎなかった。想像を絶する生々しい戦闘と暴力の映像はそこから延々2時間続く。

b0018539_2354250.jpgこの洛東江河畔攻防戦シーンの撮影で印象的に使われているのが、『プライベート・ライアン』でも用いられたイメージ・シェーカーなる映像手法で、砲弾が落下して爆裂する毎に画面全体が激しく振動して揺れる。カメラが常にブレていて正視に耐えない混乱した映像となる。砲弾によって地面の土砂が激しく舞い上がり、降り落ち、何が映像に捉えられているかよく分からない。その中で土砂と一緒に肉片と血塊が飛び散り、兵士の悲鳴と絶叫が交錯する。映画の中も頭の中も錯乱状態になる。後で映画の感想を何人かと交換し合ったとき、このブレの手法(イメージ・シェーカー)が話題となった。しかし考えてみれば、戦場の記憶というのはまさにこれに尽きるのだろう。人が生の戦場で目撃して記憶にあるものを再現するとこうなるのだ。何故なら本当の戦争はお芝居ではないのだから。

b0018539_2250356.jpgところが、そのイメージ・シェーカーの戦場の錯乱映像が、戦闘を重ねる度に徐々に像を正確に結ぶようになるのだ。戦場に場慣れする。観客も兄弟も戦場に慣れて行く。監督の技巧である。つまり、これは弟ジンソクの意識から見た戦争なのだということが分かる。観客は、兄弟の中の、特に弟に感情移入しながら朝鮮戦争の激戦地を南北に移動する。二人の兄弟は常に朝鮮戦争の最前線を歩兵として共に動く。南に撤退して防衛し、突撃して陣地を奪い、市街戦を演じ、北に進軍して殺戮を犯し、そしてまた南に撤退する。最初は砲撃のなかで意識を失い窒息死寸前になったひ弱な弟ジンソクが、次第に戦闘に慣れ、敵兵を撃ち殺すことができるようになり、砲弾や銃撃の只中でもたじろがなくなり、精悍な勇兵の表情へと変わって行く。兄は戦争の中で栄達し、酷薄非情な戦争屋に変貌する。

b0018539_2314229.jpg戦場が一つ変わる毎に残酷さは度を増して、救いのない戦争の現実が映像を埋め、希望が失せて行く。絶望が深くなる。悪い方へ悪い方へ転ぶ。人間が獣に変わり、人の命が人の命の重さを失って行く。洛東江、ソウル、平壌、恵山鎮。目を蓋わずにいられない地獄絵が続く中で、それでもどうにか観客が席を立たずにいられるのは、その戦場の都度都度で二人の兄弟が言葉を交し合う感動的な場面が設定されているからだ。戦場は人間のドラマの舞台となり、束の間、観客は救われて涙するのである。二人は変わり、兄と弟の心の溝は深まり対立するが、兄は最後まで弟を除隊させるために自分は危険な戦闘をするのだと訴え、弟を戦争と軍隊から解放させて学業の道へ戻そうとする。二人の兄弟の愛と葛藤のドラマ。この基本線があるから、ようやく最後まで目を背けずに見ていられる。

無論、物語が最後にどうなるかは最初から分かっているのだけれど。
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by thessalonike | 2004-09-04 23:30 | 『ブラザーフッド』 (6)   INDEX  
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