本と映画と政治の批評
by thessalonike
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村上春樹『アフターダーク』 (2) - 登場人物の内面の浅さ
b0018539_2125297.jpg小説『アフターダーク』に物足りなさを覚えるもう一つの理由は、登場する人物にいつものような内面的な深みが欠けている点である。村上作品に特有の、主人公によるあの味わい深い省察と諦観がない。あるいは、準主人公の口を通して語られる時代への批判や主張の契機が弱い。だから『アフターダーク』の中では読者がストレートに感情移入できる人物が存在しないのだ。わずかに高橋の個性と言葉の中にいつもの村上作品の登場人物の香りを嗅ぐ程度だろうか。浅くて弱い。この点は読みながら読者が感じる違和感であり、読み終わって残るストレスと不足感だろう。本来の村上作品なら、その部分がもっと濃厚でインパクトがあるはずなのだ。



b0018539_2125415.jpg時代や社会や人生に対する深い省察と諦観、そして宿命的で不可抗力的な重い喪失感、喪失の砂漠で見つける不思議な再生の希望と勇気、そして洗い流されたような精神の充実感と満足感。カタルシス。それらの要素は、読者にとって村上作品と接続するインタフェースであり、村上作品を市場で商品購入する期待対価(使用価値)なのだが、この要素が今回はあまり具合がよくない。敢えて省察的要素が落とされ、観察的描写が省かれている。それをする知的人物を物語の中に配置していない。村上作品に登場する知性と感性の塊のような鋭い登場人物と比較すれば、主人公のマリの言葉は凡庸であり、高橋の知性にも彫りの浅さが感じられる。

b0018539_21254954.jpg『海辺のカフカ』や『ダンス・ダンス・ダンス』の高みから見れば、『アフターダーク』の登場人物たちは、妙に幼稚で平板で、思慮の鋭さと深さがなく、普通の人間っぽくて人物としての魅力に欠ける。強烈な個性がなく、精神の咆哮がない。哲学がない。孤独な都市生活者のぎゅうぎゅうに濃縮された精神性がない。知的蓄積のバネの弾みが弱い。だからこれは、敢えて村上春樹が実験的な目的で筆を抑制しているのではないかと想像せざるを得ないのだ。そう言えば、三人称での登場とはいえ、主人公が女の作品は他にあっただろうか。悪い言い方で率直に言えば、言葉も描写も、何か初期の村上作品のパーツが使い回しされているような錯覚を感じる。

b0018539_21255711.jpg本格的な攻めがなく、ルーティン処理で軽く流している感じ。『海辺のカフカ』では大島の言葉を使って縦横に語り抜いてわれわれを興奮させた、村上春樹お得意の哲学講義(現代思想批判)の知的演出も今回はない。『海辺のカフカ』が星五つなら、残念ながら『アフターダーク』は星三つであると評さざるを得ない。『海辺のカフカ』続編を構想中の村上春樹が、たとえばプロ野球の先発投手が登板間隔が空き過ぎて調子が崩れるのを防ぐべく、肩慣らし目的の投球練習を途中でするように、小説の創作と執筆の感覚の維持のために『アフターダーク』を書き認めて世に送ったのではなかろうか。村上春樹なりの仕事のリズムとテンポとがあるのだろう。

b0018539_2126755.jpg加えて言えば、『アフターダーク』の物語の欠如感は、登場人物の男と女がセックスをしないところにもある。これは一見して些細なようで実はとても重要な問題だ。読者はやはりどこかでそれを期待しているはずだから。村上春樹独特の透明感溢れるスケルトンなセックスシーン。情欲を持った男女が粘っこく絡み合うのではなく、物語の必然の通過の中で観念と感性が人物の身体を動かしてセックスに導く村上春樹の端整で華麗な性愛描写の世界。美しく結ばれてよかったと読者を安堵させ、次の展開へ読者の心を弾ませる村上春樹の絶妙の筆さばき。それが今回は見られなかった。ここにもきっと村上春樹の今回の作品の意図と作為があるに違いない。

でも、スケルトンなセックスのない村上作品なんてね。
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by thessalonike | 2004-09-30 23:30 | 『アフターダーク』 (8)   INDEX  
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