本と映画と政治の批評
by thessalonike
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村上春樹『アフターダーク』 (5) - ツールとマニュアル
b0018539_22482819.jpgこの日曜日の午後、クルマを運転しながら某在京FM局を聴いていたら、偶然、村上春樹の話になって、音楽番組のキャスターから面白い情報が紹介されていた。『アフターダーク』の終盤の場面、セブンイレブンの店内で流れる曲の一つだったと思うが、スガシカオの『バクダン・ジュース』という曲名が登場する。そのスガシカオというミュージシャンが実は村上春樹に心酔する大ファンで、小説の中に自曲が挿入されて大感激しているという話題だった。ネットで調べてみるとやはり情報があり、スガシカオが村上春樹のファンであるだけでなく、村上春樹自身がスガシカオのファンであるという。こうなると読者はスガシカオを聴かないわけにはいかないし、スガシカオの音楽は爆発的に売れることだろう。コラボレーションと呼ぶにはあまりに非対称な販促プロモーション。



b0018539_22484393.jpg今回の作品の企図と作為についてあれこれ想像を廻らせてきたのだが、それが何か特別な目的と意味を持った実験であれ何であれ、村上春樹ほど作品の意図や含意が論議される小説家はない。村上春樹の小説は、ただ面白さを提供するだけでなく、読者に議論を提供するのだ。小説の主題や隠喩について議論を喚起するのである。それがマスの話題になるのであり、市民の日常生活の奥深く入り込んで市民生活の一部になる。だから、村上春樹は面白いから読むだけでなく、読むべきだから読み、読まなくてはならないから読む。周囲の話題や関心に密着できないと不安になる人間を動機づける。組織やネットワークの中で責任感や自負心の強い人間は、どうしても村上春樹の新作を読まずにはいられない。そして村上春樹は義務でページを捲った読者にも感動を与え返す。

b0018539_22485370.jpgそこが村上春樹の偉大なところだ。先週から今週にかけての東京新橋の居酒屋では、サラリーマンたちが『アフターダーク』の話題で持ちきりだろう。特に女の同僚が同席する酒宴でこの話題は盛り上がる。男たちは新作の意味解読競争に精を出さねばならず、なるべく知的でセンスのいい分析と書評をプレゼンテーションで提出して、女たちのウケを取らなくてはならない。村上春樹の市場は実にこういうコミュニケーションの場にあるのであり、村上作品の市場とは単なる読者個々ではなく、読者が相互に意見や感想を交換し合う場にこそあるのだ。だから、なるべく意味が多義的に解釈される方が具合がよく、議論百出を媒介し演出するプロダクトである方が楽しくて価値があるのに違いない。一義的な解釈しか成立しない小説作品では、そうした「場」で使い物にならないから。

b0018539_2249415.jpg新橋の居酒屋でサラリーマンの酒の肴になるのも村上作品の使命の一つだが、村上春樹の小説にはもっと重要な任務がある。それは男と女が会話する場での材料としてであり、男と女がカクテルを飲みながら洒落た時間を送るとき、村上春樹ほど二人の雰囲気を心地よく演出してくれる格好のツールは他にないだろう。男は村上春樹で女を口説かなければならない。女は村上春樹で男に口説かれなければならない。村上春樹を道具として使いこなせないような男はだめだ。前哨戦のメールでも、本番のデートでも。そんな不器用な男は交際リストに追加する価値はない。また、村上春樹を一度も読んだ事のないような女と一晩以上付き合う必要もない。退屈と面倒が待っているだけだ。そういう意味で村上春樹は男と女が出会い関係するためのツールでありマニュアルなのだ。

b0018539_22503659.jpg村上春樹はツールでありマニュアルなのだけれど、マニュアルを使いこなす当人の器量や手腕が問われるツールでありマニュアルでもある。懼く村上春樹自身も、そうした男女のツールとして借用されている「市場の論理」を心得ているに相違なく、そして確実に顧客のニーズを捉えたプロダクトを市場に送り出している筈だ。こういう方面で活躍するツールなりマニュアルとして、村上春樹以外に世の中で普遍的に利用されている文化的存在が他にあるだろうか。共通の趣味や共感できる内面を持っているかどうか分からない男と女が出会って、そこから先に行こうとするとき、まず最初の切り口として頼りになるのが村上春樹なのであり、だから日本の男と女は村上春樹の恩恵を多く深く受けていると言える。われわれはこの幸福に感謝すべきであり、さらなる熟達を心掛けるべきだ。

他の何かでは代替できない。サザンでも中島みゆきでも韓流ドラマでも。
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by thessalonike | 2004-09-13 23:30 | 『アフターダーク』 (8)   INDEX  
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