本と映画と政治の批評
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米国映画『華氏911』(3) - 日本の反戦文化の貧困
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この映画を見にきたお客、とくに若い客のいやまあ多いこと、私はそれに驚いた。見終わって帰途につく若者たちのどこか昂揚した面持ちにも、正直、眼を瞠った。反米、嫌米、反ブッシュの感情が世代を超えて広がりつつある。なんとしてもイラク攻撃をしようとするブッシュ政権への反発が映画への感応をいやましにつよくしているようでもある。わるい傾向ではない、と思いはする。ただ、寒風にさらされ、われに返れば、すこぶる奇妙な感慨にもふけってしまうのだ。米国の横暴に憤するのに、みずからの指針ではなく、米国の正義感にまたも無意識に依存している。ノーム・チョムスキー、ラムゼー・クラーク、エドワード・サイード、バーバラ・リー、スコット・リッター、グレッグ・パラスト、そしてマイケル・ムーア・・・。彼らのメッセージに依拠し激励され権威づけられて、みずからの反戦意識を確認し増幅する。

昨年刊行された『いま、抗暴のときに』の中で、辺見庸はマイケルムーアの映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』に触れて、次のように書いている。



反発の対象は米国、反発の正当化も米国産の言説の借用。自衛隊も米式、市民運動も米式。換言すれば、憎むも好むも米国ということになっていないか。(中略)ベトナム戦争のころ、私はいっとき米国人によって見られたベトナム戦争を見て、米国人によって反対されたベトナム戦争に反対していた。戦争を発動する者とそれに抵抗する者。それは米国の全体像を構成するひとつの不可思議なセットとなっているようでもある。恐怖と消費、非道と正義が拮抗し連環して米国はある。日本人はその連環から抜けて自分の頭で考えるのではなく、またぞろ米国の正義を信用し消費しつつ米国への反感をつよめている。ムーアの映画を見てパウエルの益体も国連演説を聴いていたら、そんな気がしてきた。(P.29-31)

b0018539_12512749.jpg この文章が書かれたのはイラク戦争開始直前の昨年の3月上旬頃である。辺見庸は他の文章でも同様の趣旨の主張を繰り返していて、日本の反戦デモのシュプレヒコールやプラカードが「戦争反対」ではなく「NoWar」である点に異議と違和感を唱えていた。何か無用に「グローバル主義」に牽引され拘泥しているんじゃないのか。昨年の私は辺見庸と全く同じ感覚で、例えば「WORLD PEACE NOW」などのやる反戦運動を見ていて、集会の壇上にやたら(どうでもいい)外人連中を招き上げて浮薄な「国際連帯」を演出してみせたり、反戦デモで平素は使わない英語なんぞを使い、ぎこちなく無理に素人っぽく振舞っている彼らの運動様式に嫌悪感を覚えていた。それからまた、辺見庸以外の論客を国内に発見しようとせず、それを発掘する努力を怠り、輸入思想の翻訳商品を本屋に並べ売って満足している貴族化した(戦後民主主義の卸問屋的存在の)諸出版社の編集部にも苛立ちを覚えていた。

b0018539_12405720.jpgだが今回、マイケルムーアの『華氏911』を見て、私はこの問題についてまた少し違う考え方を抱くようになった。正直な実感として私は映画『華氏911』が面白かったのだ。胸がスカッとして気分がよかった。そして周囲の客席で映画を見ていた外人たちも、私と同じように爽快な感動を受けてスカッとしているのが分かった。あの911以降、反戦関係のイベントなり集会なりに立ち会って、周囲一同と爽快な一瞬を共有したのはこれが初めてだったのだ。無論、映画は反戦集会とは違う。だが、私が痛快な気分になれたのは、単に映画がブッシュをコケにして米政権の戦争政策の欺瞞をあざやかに暴露してくれたからだけではなく、すなわち映画の中身だけではなく、その快哉と感動を周囲に集まった観衆多数と同一空間で同時体験できたことの満足感に他ならなかった。マイケルムーアの華麗な反戦演説に一同満足して喝采したのだ。何となれば、私は昨年のイラク反戦集会がきわめて苦痛で不満だったから。

b0018539_12481567.jpg私が参加したのは昨年3月8日(土)の日比谷公園での反戦集会で、これは世界統一行動でもあり、懼く昨年開催された反戦集会の中で最大規模のものだった筈だが、参加者の実感として何とも印象の悪いものだった。反戦集会には二度と出るまいと誓ったものだ。昨年の日本の反戦集会のうら寂しさは、辺見庸が本の中で率直に報告しているとおりだが、あの日も日比谷野外音楽堂では、顔パスで入れる有名人以外は入場制限を食らわされ、寒風が吹く外で空しく立って時間を潰すしかなかった。顔パスで入った特権身分のジャーナリストたちが居座る音楽堂の演壇でアジ演説していたのは辛淑玉と吉岡忍だ。私は締め出されてよかったと思った。辛淑玉と吉岡忍のアジ演説なんて誰が聞きたいもんか。冗談じゃない。カネを貰ってもお断りだ。集会主催者のイマジネーションの貧困さに辟易とさせられた。日本の反戦運動はお寒い。卑弱すぎて話にならない。お祭りの気楽さを無理に演出しようとして失敗している。

b0018539_12412393.jpgそれに較べてマイケルムーアは格好よかった。きちんと客を感動させた。映画を見た人間に面白かったと感想を書かせている。プレスを惹き付けて世界の関心を集中させている。映画を見た人間に疎外感を与えず、逆に世界の中心に置いてやっている。日比谷公園に馳せ参じるのにも交通費はかかっている。カネを取ってもいいからとまでは言わないが、何か頭を使って参加者に感動と興奮を提供する工夫はできなかったものか。あの集会に出席できなかったことを人に後悔させるようなものを企画演出できなかったものか。辛淑玉と吉岡忍ごときでお茶を濁されては堪らない。辺見庸の主張は尤もで正しいのだけれど、米国産の反戦文化プロダクトに依存しなければ自分の反戦的立場を了解し満足できない日本の文化的現実がある。サプライズを作れず、ムーブメントを起こせない日本人の反戦文化の想像力と生産力の限界がある。
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by thessalonike | 2004-09-14 22:54   INDEX  
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