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本と映画と政治の批評
by thessalonike

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日本国憲法は靖国を認めず - 石橋湛山の靖国神社廃止論
日本国憲法は靖国を認めず - 石橋湛山の靖国神社廃止論_b0018539_18382328.jpg日頃鬱々と思っていることであり、そして確信に近い直感だが、日本国憲法は懼く、靖国神社の存在をこの地上に容認してはいない。国家の最高原理として日本国憲法が統治するこの国で、靖国神社が存続していること自体が異常で不都合な現実なのだ。最近の右翼は、憲法19条の「思想及び良心の自由」を根拠にして、小泉首相の靖国神社参拝を正当化しようとする向きが見られるが、それはスリカエの詭弁であり、憲法の解釈として正しくない。この問題は、憲法20条の政教分離の原則をもって総理大臣の参拝行為の違憲性を論理化する以前に、靖国神社の存在そのものが本質的に違憲なのだという真実をストレートに提示するべきだろう。前文を読んでも分かるとおり、この憲法はきわめてラディカルな平和主義を思想的中核に据えていて、戦争を絶対的な人類悪として否定している。ここで憲法を一個の人格と想定して、憲法前文を真摯な自己紹介の宣言として聞くならば、この人格がどれほど戦争を憎悪し拒絶しているかがよく了解できるだろう。戦争の絶対拒否、それが日本国憲法の哲学であり主張である。



日本国憲法は靖国を認めず - 石橋湛山の靖国神社廃止論_b0018539_18384173.jpg平和主義の原理を極限まで貫徹させ、遂にそれを軍隊の放棄という史上例の無い制度的要請にまで及ばせた憲法が、戦前の日本の超国家主義の支柱であった靖国神社の存在を許容する道理がない。日本国憲法と靖国神社とは原理的に矛盾対立する。そのことを日本国憲法も知り、靖国神社も知っているはずで、相互に相手の存在を認められない不倶戴天の敵なのである。確かに日本国憲法は思想信条の自由を一般的に認めている。だが、この自由は無制限の自由ではなく、明らかに、ある特定の例外が前提されている。戦争を肯定したり賛美する思想は認めていないのだ。さらに踏み込んで言えば、この憲法は、敗戦以前の日本を支配し指導していた超国家主義のイデオロギー、すなわち国家神道の教義と信仰を否定しており、国家神道に対する正面からの敵対者として自己を定礎している。日本国憲法の理念と精神は、歴史的実体としての国家神道に対しては、どこまでも不寛容で戦闘的なのである。
 
日本国憲法は靖国を認めず - 石橋湛山の靖国神社廃止論_b0018539_1838564.jpg日本国憲法の唯一の敵が国家神道なのだ。それは憲法の出自と目的に関わる。陸海軍を解体し、戦後改革によって財閥と寄生地主制を解体し、いわゆる日本の超国家主義のシステムが生息する基盤と条件を完全に摘み取ったはずの米占領軍が、侵略戦争を鼓舞推進する精神的物質的象徴であり、国家神道の宗教的祭儀の頂点にあった靖国神社に手を触れなかった事情は、不可解としか言いようがない。他のものは、官僚機構から末端の戦争被災者に至るまで、ひとまず占領軍が提供した戦後民主主義の恩恵をありがたく拝受して、偽装も含めて国家神道の信者たる天皇の赤子から戦後民主主義者に転向したのだが、靖国神社だけは日本国憲法下の宗教法人になっても頑固に転向をしなかった。戦後民主主義の真性敵でありながらアンタッチャルブルとして不気味に戦後日本を生き抜き、英霊だの御柱だのの(国家神道の)概念と実体を保持し続けてきた靖国は、実に不吉で恐るべき存在としか言いようがない。

日本国憲法は靖国を認めず - 石橋湛山の靖国神社廃止論_b0018539_1839927.jpg外国の占領軍統治による戦後改革だったからこそ靖国は潰されずに済んだのだろうが、優秀なマッカーサーとその幕僚が、これを生かしておけば、いずれ戦前日本の超国家主義が復活する図を予測できなかったとは思えない。前回も触れた高橋哲哉の『靖国問題』(ちくま新書)の結びの部分で、石橋湛山の『靖国神社廃止の儀』という文章が紹介されている。石橋湛山が1945年10月の東洋経済新報の「社論」に載せたもので、「大東亜戦争は万代に拭う能わざる汚辱の戦争として国家を殆ど亡国の危機に導」いたと断定、「此の神社が存続する場合、後代の我が国民は如何なる感想を抱いて、其の前に立つであろう」と言い、「この際国民に永く恨みを残すが如き記念物は仮令如何に大切なものと雖も、之れを一掃し去ることが必要であろう」と提議している。石橋湛山は自由民主党の第二代総裁で1956年には首相に就任している。ブログや掲示板で咆哮しているネット右翼は湛山の靖国廃止論をどう聞くのか。

日本国憲法は靖国を認めず - 石橋湛山の靖国神社廃止論_b0018539_1847447.jpg個人的な印象では、靖国神社は一貫して戦後民主主義の転覆機会を狙い続けるアウトサイダーであった。同じく日本国憲法がその存在を公認しない自衛隊は、外から見るかぎり、何とか戦後社会に存在意義を認められるべく努力をして、災害救助やPKOの業績を積み上げて「違憲合法」の地位を獲得した。少なくとも80年代までの自衛隊は、軍隊保持を否定する平和憲法との折り合いをつけるべく、四苦八苦しながら、内外からの支持の調達に成功したように見える。そうした自衛隊の努力は、憲法の象徴天皇制の理念を具現化するべく努めてきた現在の皇室のあり方と印象を共通にする。そこには心情的に共感できるものがある。しかし靖国神社は全く違う。靖国神社は日本国憲法に妥協せず、戦後民主主義の理念そのものを真っ向から否定している。それは、憲法の平和主義を認めれば、戦争称揚の神殿である靖国神社そのものが存立し得ないからだ。78年のA級戦犯合祀の事実など、話を聞くだけで、この神社の非常識性と反憲法性に唖然とさせられる。

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by thessalonike | 2005-04-29 23:30 | 靖国問題 (10)   INDEX  
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