本と映画と政治の批評
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高文研 『日本・中国・韓国共同研究-未来をひらく歴史』 (2)
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『未来をひらく歴史』は、日本の韓国併合過程での強制性の認定、皇民化政策を含む植民支配の問題点の批判、日本軍の“従軍慰安婦”の強制動員被害者、そして南京大虐殺などの中国側の被害などを特徴としているという点で、扶桑社の歴史教科書と異なる。しかし、執筆過程には様々な対立があった。自国中心の歴史認識に慣れている韓・中・日の執筆者達が集まって『未来をひらく歴史』を作る過程は、歴史的観点、時期区分の問題などに対する持続的な調整過程を必要とした。(略) 「日本側は明治維新を含む日本の主要事件を基準として時期を区分し、その時期ごとに3カ国の歴史がつながる関係を中心として記述することを提案した。しかし、韓国と中国の執筆者はこのような認識は日本が東アジアの近代・現代史の流れを導いたということを前提にするものであると判断し、日本中心の時期区分に反対した。日本側は韓国と中国の意見を収斂し『未来をひらく歴史』では、3カ国の各々の近代国家建設の過程及び侵略戦争などでの相互関係を考慮して記述された」 (5月27日 JANJAN)




b0018539_1017455.jpgこれは先月のJANJANの記事だが、前回の稿で述べた三国歴史交互併記の問題について、その因って来たるところを裏付ける編集側の事情が紹介されている。そうではないかと薄々感じていたが、やはり日本側は三者独立併記的な歴史叙述ではなく、東アジアの一つの歴史として全体を描く構想と方法を用意していたのであり、その提案が中韓二国に受け入れられず、その結果として例の三国均等併論的な歴史の構成になったのである。なるほどと頷かされる。この点はやむを得ない。現段階では日本側の提案を現実化するのは困難だろう。日本側研究者が企図した東アジア近現代史の概念と切り口についても興味深いが、三国並列的な作品となった現物も決して悪い仕上がりではなく、読者をインスパイアする要素が多いからである。この歴史認識の方法の問題について一つ言えば、日本側は中国と韓国を自分の味方だと思い、敵である右翼「つくる」会に対抗する一つの正しい歴史認識を日中韓三国で纏めようとするのだが、中韓の側においてはまた別の立場と背景があるのである。

b0018539_10172891.jpgすなわち中韓の側からすれば、共同作業を呼びかけてきた日本側の研究者は日本のアカデミーの代表者であり、彼らの方法的提案に乗るということは、中韓のアカデミーが日本のアカデミーに方法的に従属することを意味する。アカデミーの独立性と思惟の主体性が危くされる恐れがあるのである。今回のプロジェクトは三国の歴史学界が共同するものであり、参加者は国家を代表し国民に責任を持つ立場にある。日本のアカデミーが提唱する歴史認識の方法視角に賛同協調すれば、結果がどうあれ、それが一つの学問的思想的実績として残る。中国と韓国においては日本のように歴史認識で国内が左右に二つに割れてはいない。あくまで彼らは中国史・韓国史の責任者である。日本の読者だけを対象とする気楽な歴史研究であれば話は別だが、三国それぞれの読者に向けて標準の教科書を執筆するのであれば、やはり自己の責任と立場から簡単に遊離するわけにはいかないのである。三国の研究者が一つの方法視角で東アジアの近現代史を為すには時期尚早であり、まだ暫く時間がかかる。

b0018539_10171645.jpgもし仮に韓国中国の研究者が今回の日本側の提案に賛同して作業を進めていたとすれば、特に韓国の歴史学者の場合は、自らが過去に書いてきた内容とは相当に意味と性格の異なる歴史像として韓国の近代を描く羽目になっていただろう。もう少し踏み込んで言うならば、プロジェクトに参加した中国韓国側の歴史研究者は、政治的には日本側と立場は同じであり、日本の右翼国家主義と真っ向から対決する陣営であるのだが、歴史認識の方法という観点から見れば、実は「つくる会」と近似したスタンス、すなわちナショナリズムの歴史認識を性格として色濃く帯びている。八○年代以降の解体脱構築のムーブメント、すなわち脱近代知の思想的影響を強く受けていない。ポストモダン側の表現を借りて言うならば、一国主義的で国史的な近代主義の歴史認識を基調としている。それは民族の物語なのであり、民族が苦難の道を乗り越えて発展を遂げ、幸福と完成に至ろうとするドラマなのである。中国の歴史教科書もそうだが、特に韓国の歴史教科書の叙述スタイルはその視角と態度が確固としている。

b0018539_10173820.jpg日本とは違うのだ。中国と韓国の歴史学は簡単にポストモダン主義のコスモポリタニストになれない思想的事情がある。今稿の紙幅が無いので全て端折って結論だけ先に言えば、私は中国や韓国の歴史学者の立場や判断を支持するし、日本側の研究者はそれをよく理解するべきであり、理解した上で政治的に共闘しなければならないと思う。三国が共通の方法視角で東アジアの歴史を描くためには、まず何より日本の右翼国家主義の台頭を排除しなければならないし、そして韓国が半島全体を統一する日を待たなければならない。さらに言えば、中国において本当の意味での言論と思想の自由、学問の自由が保障される政治体制が確立されなければならない。そんな日はそれほど早くは来ないのであり、人はそれぞれ与えられた社会的条件の中でそれぞれ今の課題に立ち向かわなければならない。歴史認識はまさに政治問題であり、アカデミーは現在の政治課題から離れて歴史を描くことはできない。政治から自由に歴史を書くことができるのは、アカデミーではなく、独立した知識人としての歴史作家だけである。

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by thessalonike | 2005-06-15 23:30 | 歴史認識 (7)   INDEX  
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