ティーピングの口を借りてブラウンの歴史認識が滔々と講義されている。分かりやすい議論であり、読者の側で特に反論を思い立つ者はいないだろう。説得的な歴史認識だ。聖書についてはこのように説明されるのが一番了解しやすい。そもそも聖書には人の理性や思考を超越した物語ばかりが記されていて、信仰を持たない者が読んでも興味を繋げることのできない性格の書物である。象徴や隠喩といった裏側の意味や背景を探り当てる試みにしかならない。一人で読む本ではなく、これは教会の神父か牧師に解説してもらうものだ。解釈を聴き、そこから何事かを考える本である。直接、自分からその世界には入れない。物語に登場する人物のありさまは全て予め演劇で定められた台詞のようであり、予定的で、解釈が与えられている。リアリズムの契機が弱い。
聖書は人の手によるものだということだ。神ではなくてね。雲の上から魔法のごとく落ちてきたわけではない。混沌とした時代の史記として人間が作ったもので、数かぎりない翻訳や増補、改訂を経て、徐々に整えられた。聖書の決定版というものは、歴史上一度も存在してないのだよ。(中略) 新約聖書を編纂するにあたって、八十を超える福音書が検討されたのだが、採用されたのは、それに比すればごくわずか - マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの各伝だけだった。(中略)
今日の形に聖書をまとめたのは、異教徒のローマ皇帝であったコンスタンティヌス帝だ。(中略) ”神の子”というイエスの地位は、ニケーア公会議で正式に提案され、投票で決まったものだ。(中略)
イエスを神となすことは、ローマ帝国の統一を強固なものとし、誕生したばかりのヴァチカンの権力基盤を確立する上で大きな意味を持っていた。コンスタンティヌスは、イエスが神の子であると公に宣言することによって、人間世界を超越した存在、侵すべからざる存在へとイエスを変えた。そのせいで、異教徒がキリスト教に歯向かえなくなくなったばかりか、キリスト教徒自体も、既成の聖なる窓口、すなわちローマ・カトリック教会に救いを求めるしかなくなったわけだ。(中略)
メシアたるキリストの存在は、教会とローマ帝国が存続していくために不可欠だった。初期の教会は従来の信者からイエスをまさしく奪い、人間としての教えを乗っとり、神聖という不可侵の覆いで包み隠し、それによって勢力を拡大した、と多くの学者が主張している。(中略)キリスト教の今日の姿は、そういった作為の結果なのだよ。(中略) コンスタンティヌスは資金を提供して新たな聖書を編纂するように命じ、イエスの人間らしい側面を描いた福音書を削除させ、神として描いた福音書を潤色させた。(中略)
歴史はつねに勝者によって記されるということだ。ふたつの文化が衝突して、一方が敗れ去ると、勝った側は歴史書を書き著す。みずからの大義を強調し、征服した相手を貶める内容のものを。(中略)本来、歴史は一方的にしか記述できない。
(『ダ・ヴィンチ・コード』 上巻 P.326-330 下巻 P.30)
教会以前、新約以前の原始キリスト教においては、イエスの奇跡や復活も歴史的にリアルな表現で教説されていたに違いなく、信仰者の精神の救済のあり方もイエスの内面や行動ともっと直に接触していたように想像される。新約聖書のベールに包まれてしまうと、イエスの思想も体重を失って軽い薄絹のようになり、重みはイエスの生涯や思想にあるのではなく、そういう無理(虚構)を信じている多数がいるという今(時代)の現実の方の重圧のみが実感されるに違いない。つまりは疑いを持つなということであり、疑いは邪悪だという自己規制であり、最近の言葉で言えばマインドコントロールである。実際に聖書への疑義を言葉に発した者は、直ちに異端者とされ悪魔とされて、焚刑に処されていた。異端になりたくなければ、自分をマインドコントロールに導く以外にない。
これが精神の支配という問題であり、それは非合理的な暴力とワンセットになっている。コンスタンティヌスをスターリンに、ヴァチカン教会をソ連共産党に置き換えると分かりやすい。マルクスの思想は換骨奪胎されてスターリンの三つの簡単なパンフレットに教典集約され、神聖不可侵なものとして丸暗記が奨励され、それ以外のマルクス解釈は許されず、異議を唱えるマルクス主義者は異端として破門され粛清された。マルクスもまた革命思想であると同時に現代の救済思想(救済宗教)であったと言えるが、そこに身を賭けようとした信仰者(コミュニスト)の救済は、一切がソ連共産党とその各国支部が独占するところとなり、信徒たちは共産党という教会を通じて絶対的な正統教義で洗脳され、現世救済の実践方途として共産党への奉仕を要請されていたことになる。
政治と宗教の関連に注目してアナロジーを挙げてみたが、歴史認識の面でもう一つアナロジーを挙げれば、『ダ・ヴィンチ・コード』の議論は、かつて梅原猛が日本古代史においてわれわれに示した挑戦とよく類似している。正統権力による真実の隠蔽と歴史の改竄、象徴と隠喩で記憶される敗者の実像。メッセージとアプローチが基本的に同じだ。例えば『
隠された十字架』の法隆寺論、『
水底の歌』の柿本人麻呂論。人麻呂水死説の真否が現在の研究でどこまで追跡されているか不明だが、法隆寺が太子一族の怨念を封印し鎮魂する目的で建立されたという説は、現代の日本人においてほとんど通説的な歴史認識になっていると言っていいのではないか。怨霊と鎮魂で古代思想を解読する方法視角。八十年代以降の日本思想史においてすっかりスタイルとして定着した。
『ダ・ヴィンチ・コード』とのアナロジーで言えば、梅原日本学の場合、すなわちコンスタンティヌスが藤原不比等になり、教会権力が持統朝となり、新約聖書が日本書紀ということになる。