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本と映画と政治の批評
by thessalonike

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新自由主義のイデオロギー - 「小さな政府」 選択の国民投票
新自由主義のイデオロギー - 「小さな政府」 選択の国民投票_b0018539_11314921.jpg五年ほど前、本屋の中をウロウロしていたら、渡部昇一がハイエクについて書いた新刊本があって、パラパラとページを捲った記憶がある。ちょうど小室直樹とか副島隆彦とかが資本主義のキリスト教原理主義的本源性について説教している頃で、弱肉強食こそが資本主義の本質で、勝ち組と負け組に分かれるのが資本主義では当然なのに、戦後の日本人は資本主義を誤解していたのだなどと偉そうに愚論を垂れていた。小室直樹や副島隆彦の話は、資本主義の歴史的発生から新自由主義を弁証するプリミティブな議論だったが、ウェーバーや大塚久雄を一度も読んだことのないサラリーマン向けの三流ビジネス本の商品の趣があった。新自由主義が世の中の支配的思想の地位を占めたことを宣伝する低俗教化本であり、これからは日本も新自由主義の経済政策で舵取りしますから、皆さんは負け組となって低所得と低福祉の耐乏生活をしてもらいますという宣告の本だった。渡辺昇一のハイエク論の本には、ケインズは社会主義だから駄目だと書いていた。



新自由主義のイデオロギー - 「小さな政府」 選択の国民投票_b0018539_11321475.jpg新自由主義の世界観においてはケインズですら社会主義の範疇に入るらしい。一読して虫唾が走る感覚を覚えたが、時代は急速にそうした方向へ傾斜しつつあり、ケインズ的な公共経済理論ですら社会主義として貶損され排斥される思想的傾向が確実に全体化しつつあった。それは国家財政が逼迫して給付に余裕のなくなった財務省の政策原理転換の告知を官僚に成り代わって代行するものでもあった。年金や医療などの社会保障給付の削減や廃止を国民に納得させるためには、国民の観念を切り替えるイデオロギーの注入が必要である。痛みを必然的なものとして受け入れ、その論理的妥当性を自ら整合的に受け入れてくれる思考回路を大衆の中にインプリメントしなければならない。そのインプリメントが成功すれば、政権による新自由主義の政策実行(福祉切り捨て)が可能となる。インプリメントが不首尾に終われば、大衆は政権に対して抵抗運動を起こす。その作業を担当したのが竹中平蔵や渡辺昇一や小室直樹などのイデオローグであった。

新自由主義のイデオロギー - 「小さな政府」 選択の国民投票_b0018539_11322841.jpg新自由主義者たちがやっているのは、戦後日本の公共経済政策が構築してきた福祉制度資産を、丸ごと社会主義のレッテルを貼って否定しリセットすることである。その中心に竹中平蔵がいる。そしてこの五年間以上にわたるイデオロギー注入が成果を上げて、感化されて新自由主義のロボットになったネット上の年若い市場原理主義者たちが、竹中平蔵の口真似をして、一生懸命にブログで福祉切り捨てを絶叫している。客観的に眺めれば「負け組」になるのが当然の学歴なり能力なりの者たちが、ただ年齢の若さだけに依拠して、自分は「勝ち組」になるものと錯覚し、社会福祉の廃絶を政治主張している。ブログで咆哮している無学で粗暴な若い新自由主義者たちの姿は、まるで竹中平蔵を毛沢東語録のように振り翳して文化大革命をやっている紅衛兵のようだ。発狂している。考えてみれば原理主義者というものは、イスラム原理主義であれ、紅衛兵であれ、市場原理主義であれ、どこか精神の正常な均衡を欠いているのだろう。竹中平蔵の早口も何か異常だ。

新自由主義のイデオロギー - 「小さな政府」 選択の国民投票_b0018539_11324227.jpg竹中平蔵は、今回の選挙を「大きな政府」か「小さな政府」かを選択する国民投票だと言う。前回も述べたとおり、35万人の郵便局員を公務員から民間会社員の身分に変えたところで、それは「小さな政府」には何の寄与も貢献もしない。郵便局員の給料は国庫から支出されておらず、自前の郵政事業から全額が充当されているからである。「小さな政府」とは公務員の頭数の問題ではなく、政府の予算規模の問題であり、国家が国民から徴収する税金の総額の問題なのだ。公務員の数が二倍に増えても、公務員の給料が半額になれば、「大きな政府」になったことにはならない。問題は政府支出であり税徴収である。今回の郵政民営化法案を「小さな政府」実現の政策だと言うのは詭弁であり、これを「小さな政府」の象徴として政治宣伝するのは詐術(トリック)である。が、百歩譲って、それを「小さな政府」の政策だと認めたとして、それでは「小さな政府」は国民に何か幸福を齎してくれるのか。公務員を削減するということは公共サービスを削減するということである。

新自由主義のイデオロギー - 「小さな政府」 選択の国民投票_b0018539_113711100.jpg郵政三事業の民間化の次に続く新自由主義の「小さな政府」政策は、学校教育の民営化(独立行政法人化)であり、教職公務員の民間化だろう。学校の先生は頭数が多い。竹中平蔵の涎が垂れる部分である。貧乏人の子供は授業料の安いローコストの学校へ。市立病院とか国立病院とかも「大きな政府」だから止める。都や市がやっているゴミの収集焼却も「大きな政府」だから民営化。ゴミの収集は各家庭が個別に民間業者と契約する。カネの無い家は週に一回、カネのある家は毎日収集。頭数が多い警察も民営。地域の治安は各警備会社が自治体と契約してサービスを提供。110番で警察職員を一回呼んだら一万円。交番営業所で道を尋ねたら一回千円。被害届の受理手続に五千円。詐欺や窃盗や傷害の事件で加害者を逮捕してもらったら三万円。何やら荒唐無稽な御伽話になってきたが、現在でも、アフリカ諸国とかは(ひょっとしたらフィリピンなども)こんな感じの「警察ビジネス」がまかり通っているのだろう。新自由主義者の言う「小さな政府」とは、結局のところ、古代社会への逆戻りの主張だと私には思われるのだが。
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by thessalonike | 2005-08-15 23:30 | 郵政民営化 ・ 総選挙 Ⅰ (15)   INDEX  
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