本と映画と政治の批評
by thessalonike
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郵政民営化の本質 - 【官から民へ】 ではなく 【公から私】 へ
b0018539_14104630.jpg昨夜の『ニュース23』では野中広務が生出演して、小泉政権の郵政民営化に反対の正論を訴えていた。やはり野中広務は評論家よりも政治家の方が似合っている。まさに政治家が天職の男で、政界を引退する最後までその弁説にはキレがあった。この十年間に日本に存在した稀少なステイツマン(ポリティシャンに対する)と言える。野中広務が健在であったなら小泉首相の衆院解散は阻止できただろう。無能な亀井静香だから駄目だった。亀井静香は東大経済学部卒で野中広務は園部高校卒だが、この二人を比較すると、本当に、人間は学歴ではないという真実に絶句させられる。頭の中に入っている情報量も、それを整理して論理的に説得する弁論力も、野中広務と亀井静香とでは差がありすぎて話にならない。野中広務は毎日よく勉強している印象があるが、亀井静香は毎晩酒を飲んで子分に威張り散らしている感じがする。政治家にとって最も重要な緊張感と謙虚さの態度が違う。野中広務の弁舌に迫力があるのは、単に議論が理路整然としていて本質を射抜いているからだけではない。



b0018539_12375631.jpg人を説得するためには態度が謙虚でなければならない。人に話を聞いてもらうためにはそれなりの姿勢が必要だ。謙虚さや誠実さは、話の中身以上に重要な説得力の要素である。そして野中広務の話は情熱的で、危機感と緊張感が漲っていて、訴えようとするメッセージが確実に聞き手に伝わってくる。亀井静香の場合は全く逆で、どんな話をしても顔が半分笑っていて冗談半分に聞こえるし、主張している事とは別の利権的な裏があるのではないかという勘ぐりが働く。この男に説得力がないのは、単に話が下手糞でルックスが悪いからだけでなく、テレビカメラの向こう側にいる視聴者国民に対してメッセージを伝えようとする真剣さがないからだ。報道番組のスタジオが赤坂の料亭と同じ座談空間になっていて、派閥の仲間たちとじゃれ合うのと同じ感性や口調がそこに表出するからである。だから亀井静香の発言は道化師の漫談にしかならない。田舎芝居の悪役の酔狂にしかならず、大衆から同意と共感を調達しようとする政治家の言論にならない。放漫な権力者の三流パフォーマンス。

b0018539_12372879.jpg往年の凄味は欠いていたが、昨夜の野中広務の話は、小泉首相の郵政民営化の政策経緯を簡潔に総括し批判するもので、私が解散直前に上げた議論を準える内容のものだった。野中広務は金融政策としての郵政民営化に真っ向から反対して、国民が安心して貯金を預ける公的な機関の存在を国が保障するからこそ、国民はその国家を信頼できるのだと主張していた。本質的な問題であり、金融とは何かという問題について根底から考えさせられる議論である。竹中平蔵が進める郵政民営化について、マスコミはそのスローガンであるところの「官から民へ」をプラスシンボルとして積極的に喧伝するのだが、実はこの「官から民へ」は新自由主義者特有の政治的レトリックである。本当は「官から民へ」ではない。竹中平蔵が実現しようとしている金融政策の真実は「公から私へ」である。「日から米へ」でも間違いはないが、基本的に小泉構造改革なるものがやっていること、やろうとしていることは、「官から民へ」を偽装した「公から私へ」なのである。「官から民へ」は嘘で「公から私へ」が真相なのだ。

b0018539_12385853.jpg「小泉構造改革」が破壊しようとしているのは「官」ではなく「公」である。日本のビューロクラシズムではなく日本のパブリックを破壊しようとしている。「公」を破壊してその財産を「私」にばら撒くのは新自由主義の生理による。アンチ社会主義の原理主義としての新自由主義は、あらゆる公共経済の循環と蓄積を破壊して、その富を私企業の所有に転化しようとする。スターリンや毛沢東が社会のあらゆる私的所有の芽を摘み取って強制的に経済を集団化したポリティカル・エコノミーの裏返しである。裏返しの原理主義。思想の生理から出づるところの(非合理的で非論理的な)権力による半強制的なプライバタイゼーション。パブリック的なものを社会から一掃して、あらゆる人間の経済活動をプライベート化する。私的資本に社会経営の全てを支配させる。交通、通信、郵便、金融、エネルギー、教育、治安。新自由主義の政策動機には公共的契機に対する憎悪がある。あらゆる公共経済の論理と達成に対して社会主義のレッテルを貼って撲滅粉砕しようとする暴力的で衝動的な本来性向がある。

b0018539_12383488.jpg竹中平蔵の郵政民営化を実行しても、カネは本来の「民」へは流れない。350兆円の殆どは米資の「私」へ流れ、おこぼれが日本の都銀や生保や証券の「私」に流れるだけだ。GSやMSやLBやRWやMLなどの米資の「私」に流れたカネはNYで石油投機と株式投機に使われる。日資の「私」に流れたカネは不良債権償却と国債引き受けと土地投機に使われる。「民」には流れない。地方経済や中小企業には流れない。町工場や零細業者の資金繰りを潤す循環には回らない。仮に土地投機が再燃してバブル経済が再現された場合だが、今度は前とはかなり性格を異にするバブルになるだろう。勝ち組たちが狂宴するバブルであり、投機ゲームに参加する余力と前提を失っている負け組は、単にバブル経済が齎す物価上昇によって生活を苦しめられるだけである。竹中平蔵が言っている「民」とは、リーマンブラザーズがライブドアに特約CBを発行して200億円のキャッシュをわし掴みにする経済活動を言う。よく考えてみればいい。富士銀行や住友銀行に預けた個人の定期預金が「民」に流れましたか。連中は中小企業に貸すどころか貸し剥がしをやって中小企業を潰したじゃないか。「民」って一体何ですか。
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by thessalonike | 2005-08-17 23:30 | 郵政民営化 ・ 総選挙 Ⅰ (15)   INDEX  
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