本と映画と政治の批評
by thessalonike
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収奪され生活を破壊される国民が小泉首相を支持するパラドックス
b0018539_14484.jpg他の番組では話にならないので、筑紫哲也の『ニュース23』を見ながら選挙報道を追いかけているが、昨夜の放送の中での筑紫哲也と田勢康弘とのやり取りが面白かった。選挙結果予想で自民党の地滑り的大勝を予想した田勢康弘が、ある経営者から自分のところに寄せられた手紙を紹介して、それによると、今回の小泉首相の政治手法を強権的とか変人などと呼ぶ見方があるが、会社の経営者であればあのリーダーシップが当然で、これまで政治の世界が会社と同じ常識や論理で動いて来なかったことが問題なのだと熱っぽく語っていて、その手紙を読んだ田勢康弘は今度の選挙での自民党の圧勝を確信したと言う。それを聞いた筑紫哲也が、確かに会社の経営者はそうした見方をするのかも知れないが、そういう経営者によってリストラされた人とか、リストラされる側で働いている人たちも有権者としているわけで、彼らは会社の経営者と同じ論理で政治を見て、同じ考え方で一票を入れるわけではないと反論していた。見事な切り返しだった。こういう知性と良識が知識人としての筑紫哲也を他と大きく隔てている。



b0018539_1444591.jpg政治が企業経営と同じ論理で遂行できるはずがない。政治とは公共的なものだ。私的なものではなく公的なものだ。政治が向かい合うのは市場ではなく国民である。子供もいればお年寄りもいる。病気の人もいれば身体の不自由な人もいる。生まれながらに都会で暮らす人もいれば、山村に生まれて一生そこを生活の場所とする人もいる。政府は税金で運営されていて、税金は国民から徴収されるのであって、政府を統轄する内閣は、国民が自らの代表を選んで送り込んだ代理人(国民代表)の集団なのである。小泉首相が事業者として事業経営して日本国の国庫収入を稼いでいるわけではない。国会議員は小泉首相が雇った社員ではないし、まして国民は小泉首相に雇われて指示を仰ぐ従業員ではない。原理は逆である。国民が主権者であって、小泉首相の方が納税者である国民の意思に従わなければならないのだ。田勢康弘に手紙を出した経営者は、経営と政治、公と私の原理的区別のできない社会音痴の人間であり、学校でも社会科が苦手で成績も悪かったのだろう。公民を勉強し直した方がいい。

b0018539_1443037.jpg最近のテレビや新聞の政治報道で気になるのは、上の筑紫哲也の話とも関係するけれど、企業経営者や経済団体幹部の発言は傾聴すべき国論として尊重されながら、労働組合の主張は一部の特殊な利益集団の声として卑蔑され排斥されている状況である。国民という概念を考えた場合、それを構成する人間の数は圧倒的に労働者の方が多く、経営者はひと握りの少数であるにも拘らず、経営者の発言が「公」を代表し、労働組合の声が「私」の典型であるような観念が支配的になっている。経営がプラスシンボルで労組が極端なマイナスシンボルにされている。多数者の側が少数派の烙印を押されて異端の立場に立たされている。そういう環境の中で、上の田勢康弘が紹介した無知な経営者の愚論が正論としてまかり通っているのである。国民の側が観念倒錯を起こして政治錯覚しているという問題は確かにある。だが、それ以上に、マスコミがそうした観念を「常識」として散布するから、異常な暴論が正論となり、野蛮な愚論が公論となるのである。社会の支配的な観念をオーソライズするのは権力者としてのマスコミであり、それはまさに裁判所と同じ力を持つ強大な社会的権力である。何が善で何が悪かをマスコミが決める。

b0018539_145294.jpgこの十年間、一般世帯の家計収入は減り続けている。PDFファイルの煩わしいリンクで恐縮だが、総務省統計局の「家計調査」の数字をご覧いただきたい。勤労者世帯の家計収支は8年前の97年をピークにして可処分所得も消費支出も減り続け、実収入ベースではこの表で統計値が出ている二年前の03年でも、97年を100として88と12ポイントも落ち込んでいる。勤労者が生活苦を感じる所以である。小泉政権の四年間について微視的に観察するデータを上げると、これもPDFファイルで恐縮だが、同じ総務省統計局の家計消費指数の数字がネット上にあって、三年前を100とした実質指数で今年7月が93と7ポイントも落ちている。総務省の数字だから信用する以外にない。家計支出が減るのだから、当然ながら小売業販売額も減る。森永卓郎によれば、小泉政権が発足する前の00年度の日本のGDP名目値は510兆円だったのが、四年後の04年度には506兆円となっている。四年間で経済規模が縮小してマイナス成長になっている。こういう数字を「小泉改革」の結果として示すのは森永卓郎だけだ。

b0018539_1451697.jpgそして小泉政権は、今後もなお「痛み」の継続を国民に約束してくれていて、今回の消費税の解禁がそうだし、本格化する三位一体改革の補助金・地方交付税交付金削減がそうである。「痛み」が終わる時期は約束しない。郵政民営化の次は、まず消費税を上げて、それから医療保険改革をやるから覚悟しとけよと言っているだけだ。国民皆保険制が潰されて米国のようなシステムになる。小泉首相が「改革」をやってくれると、国民はまた重い負担と痛みを背負う。そしてマスコミで御用学者と御用評論家がその「改革」を絶賛し、「改革」に反対する人間を「利権派」だの「社会主義者」だのとマイナスシンボルの貼札を貼って罵倒する。森永卓郎も溜息をつきながら言っているが、不思議なのは、そうして現在と将来の生活を破壊され、国民として生きる権利の基礎を奪われている末端の市民が、小泉首相の「改革」演説を礼賛して飛びついていることだ。小泉首相の「改革」メッセージを信じて心酔していることである。騙されているのに気づかず、騙している人間を神のように崇めて抱きつく。法の華三法行の福永法源とその信者だ。

グロテスクであり、不条理であり、憂鬱で、不愉快きわまりない。
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by thessalonike | 2005-08-23 23:30 | 郵政民営化 ・ 総選挙 Ⅱ (15)   INDEX  
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