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本と映画と政治の批評
by thessalonike

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『Good Luck』(2) - ダニエル・デフォーのロビンソン物語
『Good Luck』(2) - ダニエル・デフォーのロビンソン物語_b0018539_16102068.jpg前回、この小作にはひょっとして「ロビンソン・クルーソー」の現代版が意図されているのではないかという感想を書いてみた。『ロビンソン漂流記』は有名な児童書の古典なのだが、作者のダニエル・デフォーは児童作家ではなく17世紀の英国の経済学者であり、大学で比較経済史なり西洋経済史なりの講義を受けた際に、必ずデフォーの学説とロビンソン・クルーソー物語の意味が説明される。言うまでもなく、デフォーのこの物語を経済史学に導入して論じたのは大塚久雄であり、大塚久雄のデフォーモデル論は日本の社会科学における基礎理論中の基礎理論として知らない者はいない。経済学部とか法学部に入学した者は、耳にタコができるほど経済人ホモエコノミクスの人間類型について聴かされた経験を持っているはずだ。



『Good Luck』(2) - ダニエル・デフォーのロビンソン物語_b0018539_16104643.jpg大塚久雄も最近は権威が凋落傾向の様子で、まさに二十世紀も遠くなりにけりだが、一昔前まで社会科学の世界では神様に等しい大御所的存在であった。何度も繰り返して話を聴かされ、本を読まされたものだから、大塚久雄の一般論は大学を卒業して何十年経っても容易に頭から離れない。最近ではそれはドクマだと言われている。デフォーの理論について、大塚久雄以外の欧米の経済学者がどのように扱っているのか不明だが、『Good Luck』を読むと、あるいは欧米でも経済人ホモエコノミクスの人間類型の象徴的表現、すなわち経済学上の人間モデルの問題としてロビンソン・クルーソーの物語が理解されているのではないかと想像する。もしそれが日本発の学問的影響(大塚史学)であったならば大いに結構な話ではある。

『Good Luck』(2) - ダニエル・デフォーのロビンソン物語_b0018539_16114923.jpgポプラ社刊の『こども世界名作童話』シリーズの中に『ロビンソン漂流記』が入っている。子供の頃にポプラ社の本を読み損ねた者は、大人になって岩波文庫で読まなければならない。子供にとっての古典は大人になっても古典であり続ける。モンゴメリにせよ、マーク・トゥエインにせよ、トルストイの『イワンのばか』にせよ。もしもポプラ社の編集者が『グッドラック』を発見したとき、その紙背にデフォーの『ロビンソン漂流記』の方法と著者の企図(野望)を感知したとすれば、それはそれできわめて自然な話であり、必然的ななりゆきであるように思われる。私はこの本の中身よりも、これがポプラ社から出版されている事実について多く興味と関心があるのだが、ひとまず懐かしい気分で大塚久雄の「ロビンソン・クルーソー論」を復習しよう。

『ロビンソン・クルーソウ漂流記』はもちろん、作者デフォウが何か当時の漂流奇譚をもとにして、つくりあげたフィクションにちがいないが、そこに描かれているロビンソンの孤島での生活がかなり特異な姿のものであることは、ちょっと気をつけてみれば、よくわかると思う。彼は(中略)全体としておそろしくドライで、現実から目をはなさない。だから、難破船のなかに残された消費物資を消費しつくして、あとはのたれ死に、というような現実への消極的な埋没は決して肯んじない。それどころか、自分のおかれている現実の生活諸条件を見まわしたうえ、島の方々から、難破船のなかから、いま必要な生産資材をいろいろ捜しあつめ、そうした資材と自分の労働を合理的に配分して、しだいに一つの生産体系をつくり上げていく。そして彼の生活はゆたかになっていく。(中略)

ロビンソン・クルーソウはたえず勤労にいそしみ、作りだされた物資のうち必要なものは惜しげもなく消費するが、いやしくも浪費ということはしない。この勤勉と節約に加えて、きわめて冷静な合理性が彼の営みすべてを貫いている。たとえば、孤島に漂着してから満一年目のときだったか、日記帳に記されたことがらにもとづいて、一年の漂流生活によってえたプラスとマイナスとを対照し、一種のバランス・シートを作成しているのを、ほほえましく覚えておられる方もあるにちがいない。ともかくこうした合理的、組織的な経済生活の積極的建設(および、それに見合う精神態度)こそ、経営と呼ばれるにふさわしいと私は考えるのだが、読者の方々はどう思われるだろうか。

「経営」という言葉を学術用語として意味深く使用した最初の人は、マックスヴェーバーであろうと思うが、このヴェーバーが近代的経営の原型 - そのなかから官僚的組織を生みだしていく胚種 - を問題としたとき、たえず念頭にあったのがフランクリンやダニエル・デフォウの諸著作であり、ロビンソン・クルーソウの経済生活も、フィクションによるその思想的内容の造型として、彼の眼前を去来していたといっってまちがいないのである。そして、こうしたタイプの人間の行動様式を「資本主義の精神」とよんだことは、周知のことだと思う。(中略)当時のイギリス経済史を少しでも研究した者には、それが手にとるように見える、といっても言いすぎではない。

(岩波書店 大塚久雄 『国民経済』 P.3-5)


by thessalonike | 2004-10-18 23:30 | 『グッドラック』 (5)   INDEX  
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