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本と映画と政治の批評
by thessalonike

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仏映画『ピアニスト』 (1) - ノーベル文学賞作家イエリネク原作
仏映画『ピアニスト』 (1) - ノーベル文学賞作家イエリネク原作_b0018539_17392362.jpg2001年のカンヌ映画祭グランプリ受賞作。原作者であるエルフリーデ・イェリネク女史が今年のノーベル文学賞を受賞したという一報に接して、あわてて台風が来る直前にDVDを借りてきた。だが正直なところ、この映画を批評するのは難しい。感想を表現する言葉を探すのに苦労するのだ。大人の映画であり、そして映画のメッセージは、受け手たる作品の理解者に、明らかに男よりも女を想定している。男は理解しにくい。序盤はいい感じで映像が流れる。セックスではなく、音楽こそがこの映画の真の主題ではなかろうかと思えるほど、音楽(ピアノ演奏)が前面に映し出されて、観客にヨーロッパの古典音楽の真髄をアピールする。エリカがワルターにアドルノのシューベルト論を講義する件(くだり)など、これは未熟な音楽知識では最後までついて行けないのではないかと怯(ひる)まされたりする。



仏映画『ピアニスト』 (1) - ノーベル文学賞作家イエリネク原作_b0018539_1850252.jpgところが、映画のストーリーは主人公であるエリカの歪んだ性趣味と病的な変質性の描写の方向へと進んで行き、展開が危険に満ちた読めないものになり、見る者は最後まで緊張の持続を強いられる。興奮とか感動ではなく、緊張の強制であり、愉快な気分にはなれない。映画への内在を断念して突き放すか、それとも意味を見出そうとするか、最後まで悩まされる。そして悩まされた挙句、あまりに尻切れトンボなエンディングで放り出されてしまう。見終わった後は、これがカンヌ映画祭グランプリ作品となり、ノーベル文学賞受賞作となった根拠や理由について暫し考えさせられる。ヨーロッパ的と言えばあまりにヨーロッパ的であり、フランス映画らしいと言えばその一言で終わってしまう。だが、同じヨーロッパ映画でも、『愛の嵐』や『存在の耐えられない軽さ』はもっと面白かった。

仏映画『ピアニスト』 (1) - ノーベル文学賞作家イエリネク原作_b0018539_17413036.jpg少し違う。いや、かなり違うのだ。『ラストタンゴ・イン・パリ』を楽しんで見た同じ気分にはなれない。それは単に性倒錯者であるエリカにストレートに感情移入できないからという理由だけではない。この映画の中でいちばん重要なのは、あのトイレの中でのエリカとワルターのラブシーンだと思うが、あの場面に私は納得がいかない。イェリネクの原作には文句をつけないが、男である監督のミヒャエル・ハネケは本当にあの描写に満足しているのだろうか。簡単に言えば、男は、いくらワルターのような若い健康な男でも、あのような状況に置かれれば勃起という身体的状態を維持することはできないのだ。あそこでエリカはサディスティックにワルターを弄ぶ行為に出る。それがエリカという女の「性」の秘密だという話になるのだが、不自然な「性」を自然に描こうとする映画の無理がそこで露骨に表出している。

仏映画『ピアニスト』 (1) - ノーベル文学賞作家イエリネク原作_b0018539_1831529.jpg女優のイザベル・ユペールの演技は抜群で、難しい役をよくこなしていた。演技が巧かった。この難解な映画に最後まで観客の関心を途切れなくさせているのは、彼女の美貌と演技だけであり、そして彼女の正常な性愛場面への期待だけである(それは最後まで見れないが)。前半から中盤の、ひっつめ髪の知的なピアノ指導教官の雰囲気も実にいいが、後半の、ワルターと愛し合うべく髪を落としメイクをして表情を変えた女の姿もとてもいい。イザベル・ユペールの独演で映画が持っている印象が強い。トイレでの問題のシーンも、ホッケークラブの部屋で情愛に失敗する場面も、ユペールはよく演じていた。だが、本人は果たしてあれで納得しているだろうか。心なしか、私には納得していないように見えた。不自然な性嗜好・性行動を自然に演技して他人に見せるというのは基本的に無理がある。

仏映画『ピアニスト』 (1) - ノーベル文学賞作家イエリネク原作_b0018539_17421925.jpgその辺で少し混乱してネットの中を徘徊していたら、こういうテキストを見つけた。なるほど、あれはエリカの心の中に男性があって、一個の人格の中で男女の性的な交錯と葛藤があり、それがワルターとの関係においてサディズムとして現象したり、マゾヒズムに逆転していたのかと、その心理的メカニズムに理解を及ばせ、原作と監督の意図を推し量るのだが、さりとてそれによく納得するというものではなく、主題そのものに対する違和感は残る。現代人は性の救済を求めて彷徨する巡礼者であり、救済とはヨリ簡単な言葉で言えば「癒し」だろう。性愛に癒しを求めて得られず、逆に傷つけられることは屡々あることに違いないが、あのような「傷」の形態を生々しく見せられると、映画に夢を求めている者には精神に過剰な負荷を感ぜざるを得ない。監督は、何が彼女をそうさせたかを、もっと納得的に描くべきではなかったか。
仏映画『ピアニスト』 (1) - ノーベル文学賞作家イエリネク原作_b0018539_17425486.jpg

by thessalonike | 2004-10-10 23:28 | 『ピアニスト』 (4)   INDEX  
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