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本と映画と政治の批評
by thessalonike

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仏映画『ピアニスト』(3) - エリカは本当に性倒錯者なのか
仏映画『ピアニスト』(3) - エリカは本当に性倒錯者なのか_b0018539_18363198.jpg倒錯性愛あるいは異常性癖をテーマにした映画はヨーロッパに多い。だが、この『ピアニスト』の場合は、ある意味で筋金入りと言うか、かなり確固たる思想的主張があって、たとえ世界中の多数がこの映画に対してネガティブな反応を示したとしても、監督のハネケはそれによって動揺するということはないようである。場面や展開も普通の感性や常識での予想を裏切るものであり、単純な娯楽として鑑賞できる作品ではない。この映画の主役はイザベル・ユペールが演じるエリカと言うよりも、むしろミヒャエル・ハネケ監督自身であり、観客はハネケ監督が見せる不条理きわまる話の展開に翻弄され続け、最後に無情かつ冷酷に放り捨てられる。取り付く島がない。ヨーロッパ的なセンスの極致の映画であり、この作品にグランプリを授与するカンヌ映画祭の審査と決定そのものが、実にラディカルで浮世離れしていると言える。



仏映画『ピアニスト』(3) - エリカは本当に性倒錯者なのか_b0018539_18294482.jpgイザベル・ユペールの好演は、ある意味で無垢で素朴な観客と老獪な前衛であるハネケ監督の間を媒介するインタフェースなのだ。相容れない両者の感性の間に入って、ユペールが仲立ちしてくれているのである。常識と前衛の矛盾する二つの立場をプロトコル変換して、巧くシェイクハンドさせている。観客の普通の感性にも内在し、ハネケ監督の前衛思想にも内在して、両方の間を危ういバランスで繋ぎとめている。観客が、特に米国の映画評論家が、ユペールのこの作品での演技を絶賛しているのは、背景にそういう事情があるからだと考えてよいだろう。ユペールはフランス人としてこのヨーロッパ映画にコミットしているが、映画を見る限り、必ずしもハネケやイエリネクの思想に全面的に共鳴、内在しているようには見えない。躊躇を感じながら演技を見せていて、役者として観客を納得させようと腐心している。

仏映画『ピアニスト』(3) - エリカは本当に性倒錯者なのか_b0018539_18295828.jpgハネケ監督は観客を納得させることなど最初から念頭にない。観客からの理解や共感の獲得を作品の目的としていない。映画の狙いは精神分析的な意味を持った問題提起であり、抑圧された女の性と精神の問題を正面から描いて現代に問うことだ。ハネケ監督自身が主人公のエリカに対して内在していない。エリカはハネケの素材に過ぎず、観客を緊張させ不安にさせる道具である。後は観客各自が自分の頭で考え解釈するしかない。映画に一つの解釈を与えさせず、見た者の感性に読解と評価の自由を委ねるというのはヨーロッパ的な手法であり、また特に米国的ハリウッド的なシンプル主義(簡潔明瞭的単一主義)に対する拒否と隔絶の態度の表明と言えるだろう。だが、観客は監督の玩具ではない。監督の主張を有意味なものにするには、誰かが身を挺して、観客と監督との二つの間をブリッジしなければならないのだ。

仏映画『ピアニスト』(3) - エリカは本当に性倒錯者なのか_b0018539_18301496.jpgイザベル・ユペールの知性と技能はその困難な課題に挑戦して成功している。さて、ハネケとイエリネクが描き見せるエリカの不条理な女の性の問題だが、映画を見終わって暫く時間が経って落ち着いて考え始めると、何やら別のアイディアが思い浮かんで来たりもする。エリカの性は、果たしてどこまで倒錯であり異常であり変態であると言えるのか。あるいは性における倒錯なり異常という定義は何を根拠に与えられるのか。まず簡単なところから言えば、あの問題のポルノビデオ店での場面だが、エリカが一人用の個室ボックスに入ってポルノビデオを再生し、そこでゴミ箱の中に捨てられている男が射精処理したティッシュを鼻にあてて嗅ぎ、性的に興奮するというシーンがある。変態と言えば変態だが、そういう性趣味があっても別におかしくないと言うことはできないだろうか。特に誰かに迷惑をかけているわけではない。

仏映画『ピアニスト』(3) - エリカは本当に性倒錯者なのか_b0018539_18292945.jpg繁華街の性風俗店でカネを払ってサービスを購入しているのである。性欲処理の個人行動であり、セックス商品の消費行動であり、市場における合法的な売買行為である。後ろめたい行為であるかも知れないが、性に関わる行動で個人が何も後ろめたさを感じない行動というものがあるだろうか。性的満足を個人が得るための行為や行動というものは、本来的に羞恥的で秘事的なものであり、非常識的で非倫理的な、誰にも知られたくない隠匿すべき性格のものに違いない。羞恥と劣情の交換と代償として満足と快感を調達する。性とはそういうものだ。シークレットでヒドゥンなものであり、オープンでライトなものではない。そしてそこには大いなる個人差があり、極端な嗜好の差異があり、一般的な前提や解釈を拒むものがある。性欲の現実態は個人において異なる。これが正常で基本で唯一なものだと言えるものは懼くない。
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by thessalonike | 2004-10-13 22:13 | 『ピアニスト』 (4)   INDEX  
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