映画『シルミド』について感じる問題点は、簡単に言えばリアリティの欠如である。実話の映画化であるにも関わらずリアリティがない。幾つか挙げてみよう。まず第一に、あの実尾島(シルミド)での部隊訓練の情景である。DVDで二度見たが、どこかの体育会系サークルのキャンプを見ているようで、とても軍の特殊部隊の訓練のようには見えない。山岳ランニングも、ロープを使った谷渡りも、何となく和気藹々とやっているように見える。顔が緩んでいて緊張感が感じられないのだ。隊長(チェ准尉)役を演じた演じたアン・ソンギが、来日した試写会の記者会見で、
「訓練の場面も実際のものよりも過酷ではありません」と率直に語っている。私はこの映画の監督のカン・ウソクをどうも信用できない。『シルミド』の撮影では、ニュージ-ランド高地と地中海のマルタ島が海外ロケ地として使われているらしいが、あるいはこれは遊興目的の合宿旅行だったのではないのか。
例えば射撃訓練の場面だが、まるでハワイへ来た若い日本人観光客がヘルメットと迷彩服姿で一列に並んで実弾射撃を楽しんでいるような印象を受ける。真剣さがなく、遊び半分に見えるのだ。同じ特殊工作部隊の射撃訓練の映像では、『シュリ』の中で北朝鮮側のものを見せていた記憶があるが、それは激しい雨が降る夜の訓練で、標的は常に動いていた。特殊部隊なのだから、作戦行動は当然ながら夜間である。真昼間に塹壕の静止位置から静止標的を狙い撃っても、何の「特殊」訓練にもなるまい。特殊部隊の命は射撃である。動きながら動く標的の急所を正確に狙撃、必中させる技術を体得しなければ特殊部隊の意味がない。監督はどこまで韓国軍の特殊部隊の実際の訓練を調べたのか。事実の再現ができてこそノンフィクション映画の意味が出る。あれが「再現」だと言うのであれば、監督のイマジネーションの程度を疑わなければならないだろう。
全体に訓練の緊張感が弱い。生きるか死ぬかの張り詰めた表情や態度が部隊訓練兵たちの中に表現されていない。そういう真剣な状況と情景を監督自身がイマジネーションしていないから、キャストに演技を要求できないのである。特殊部隊の訓練というものが実際にどういうもので、そこで訓練を受けた人間がどう変わって行くのか、監督自身が正確なイメージを持ち得ていないから、それを俳優を使って映像に再現(表現)することができないのだ。だから体育会系サークルの合宿もどきの絵になってしまう。それなりに迫真さが伝わってきたのは、水中で潜水訓練する場面だけだった。公開前のインタビューでは、海上場面の撮影で事故が起きかけたという話を
漏らしている。ニュージーランドでのロケで雪山で爆発物を使う撮影では実際に事故を起こしたらしい。撮影に緊張感がないのだ。事前の調査と準備が疎かだった証拠ではないか。
もう一つ、リアリティの欠如の問題について言おう。訓練は山岳走行と射撃とロープ渡りと潜水訓練だけだったが、特殊部隊が数ヶ月間の間で準備しなければならないのは、何より平壌までの侵入ルートと平壌の金日成居住宮殿の内部について頭に叩き込んでおくことだろう。作戦は684部隊のフリーハンドで勝手にやれるものではない。必ず(背後に)国軍の動員と支援が要る。何故なら金日成を暗殺した瞬間、戦争が始まるのだから。襲撃と暗殺を684部隊が単独で敢行するとしても、侵入から脱出まで緻密に組まれた工程表があって、それを黙って完璧に実行するのが特殊部隊の実戦というものだ。ただ単に身体的な軍事訓練だけ施して、そのままポイと北朝鮮領に行かせて後は頼むぞというものではないだろう。平壌までの地理、平壌市内と金日成居宮区域及び建物内部の警備配置について、詳細を頭に入れ、それを突破して金日成の寝室に飛び込むマスタープランを立てなければいけない。そして訓練はその戦術に従ったものでなければならない。
684部隊は北朝鮮工作部隊のように目標至近距離までトンネルを掘るわけでなく、大同江から平壌市街に入り、上陸して金日成の居宮に突撃するのだから、基本的に地上を移動する作戦である。事前に警備兵に発見される確率はきわめて高い。よほど周到に計画を立てないとターゲットにリーチすらできない。観客は当然そのような懸念や期待を持って映画を見るわけだが、その辺のコンサーンについて、映画は何も説得的な映像(回答)を与えていない。ただ壮行式を行って、夜の海にゴムボートで送り出すだけである。その辺の肝心な部分は観客の想像に任すというのが映画のメッセージである。要するに、実際には金日成襲撃について具体的な実行計画が組まれた形跡はなく、計画の概要がシルミドで隊員に教育されたわけでもなく、あの夜の出撃と作戦中止の話は嘘(作り話)なのだ。
エグゼキュータブルな暗殺計画が策定される前に、独裁者朴正熙の政策方針が転換したのである。