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本と映画と政治の批評
by thessalonike

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韓国映画『シルミド』(3) - 日本語字幕における粗雑と放漫
韓国映画『シルミド』(3) -  日本語字幕における粗雑と放漫_b0018539_13584119.jpgこの映画の問題点は他にもある。日本語字幕が酷い。あまりに粗雑だ。『シルミド』の翻訳については、他のブログでも貶されているのを見たが、些細な部分はともかく決定的に問題な場面が一箇所ある。それはあの「赤旗の歌」の字幕だ。この歌は、実尾島から脱走して隣の島の民家に押し入り、家にいた女を強姦して部隊に捕縛された不良訓練兵が、処刑前に四肢を木に吊るされた格好で全員の前で歌う。映画全体の中できわめて重要な位置にある歌であり、この歌と主人公の生い立ちの問題の二つがあるから、この映画がようやく内面的な中身を保持し得ているとさえ言える。脱走兵は死の前に唐突にこの歌を歌い、そしてその後、この歌はシルミド(訓練兵)部隊の歌になり、映画の中の大事な場面で三度歌い上げられる。バスで集団自決する直前もこの歌を仲間で歌う。



韓国映画『シルミド』(3) -  日本語字幕における粗雑と放漫_b0018539_14252331.jpgこの歌はコミュニズムの革命歌であり、当時の韓国では絶対に声に出すのを憚られた国禁の歌だ。公衆の面前で歌えば国家反逆罪の容疑で逮捕され、取調の際に係官から拷問を受けただろう。部隊長のチェ准尉がこの脱走兵に最後まで歌を止めさせなかったのは、それが処刑によって死地に赴く者の最後のメッセージだったからである。チェ准尉は朝鮮戦争の後、北朝鮮領内に二十回侵入した経験を持つ元特殊工作員であり、684部隊の隊長であり教育責任者である。映画の中でも若干触れられるが、北側に家族を殺されて怨念を持っているという設定。当然、強烈な反共主義者だろうし、だからこそシルミド部隊の教育担当に任命されている。特殊部隊を訓練して金日成の首を取ることは、中央情報部から受けた国家の任務であると同時に、チェ准尉個人の悲願であり人生の目的なのだ。従って当然ながらこの歌を知っている。字幕では歌詞が次のように訳されていた。

民衆の旗、赤い旗は
戦士の死体を包む
死体が腐って固まる前に
鮮血が旗を染める
高く掲げよ、赤い旗を
その下で固く誓おう
卑怯者よ、行きたければ行くがいい
我らは赤い旗を守ろう

これはひどい。いくら何でも無茶苦茶だ。国際労働歌である「赤旗の歌」の日本語歌詞(赤松克麿訳詞)は以下である。

民衆の旗、赤旗は
戦士の屍(かばね)を包む
死屍(しかばね)固く冷えぬ間に
血潮は旗を染めぬ
高くたて赤旗を
その蔭に死を誓う
卑怯者去らば去れ
我等は赤旗守る

韓国映画『シルミド』(3) -  日本語字幕における粗雑と放漫_b0018539_14525022.jpg意味は同じだ。上も下も。しかし下が正しい日本語歌詞であり、字幕は下のものでなければならない。下の歌詞だからこそ、あの旋律にのせて歌える。映画を見てこの歌を初めて聞いた若い世代の者でも、メロディと日本語の歌詞がアジャストしている事に気づき、この歌が世界共通の国際労働歌である事実に気づくだろう。上の歌詞の字幕ではそれは分からない。韓国朝鮮の歌だろうと思ってしまう。赤い旗が赤旗かどうかも分からない。そもそも「赤い旗」と「赤旗」とは違う。懼く日本語字幕を担当した若い人間がこの歌を知らなかったのだろう。この歌の存在と意味を知らず、日本語歌詞が(歴史的に)存在する事実を知らず、韓国語をそのまま直訳して事足れりとしてしまったのだろう。であるとすれば、何といい加減な出鱈目な話であることか。製品となるまでに関係者は誰も気がつかなかったのか。翻訳を監修した人間はいなかったのか。

日本語版製作関係者の無知と無責任の窮み。原作への冒涜でもある。例えば同じ国際労働歌「インターナショナル」は、映画『レッズ』でも『スパイゾルゲ』でも使われて、よく映画で登場する歌だが、外国映画の中で歌われるこの歌に、次のような日本語字幕が被せられたらどうなるか。

さあ立ちなさい、餓えて苦しむ人たちよ
もうすぐ革命の日が訪れます
目覚めなさい、祖国の人たちよ
夜明けはそこまで来ています
暴虐から解放されるのはもうすぐです
そのとき旗は大地に翻るでしょう
私たちは海を越えて国際的に連帯します
さあ戦いましょう、闘志を燃やして下さい
ああインターナショナル、私たちのもの

韓国映画『シルミド』(3) -  日本語字幕における粗雑と放漫_b0018539_14472140.jpgドッチラケである。つまり今回の『シルミド』の日本語字幕はこういう事をやってしまったのだ。取り返しのつかないミスだと思うのだが、日本語版の製作関係者(アミューズソフトエンタテインメント・東映・テレビ朝日)は何も思うところはないのだろうか。別に構わないじゃないかと開き直っているのだろうか。共産主義の話だからどうだっていいと思っているのだろうか。「赤旗の歌」なんて誰も知らないし、別に拘る必要はないと判断したのだろうか。お粗末である。米国の国歌にも、旋律にあわせた日本語の歌詞(標準)があるわけで、仮に映画の中でそれが流れて日本語字幕を出す場合は、正式な訳詞を無視して翻訳者が勝手に直訳することは許されないように思われる。私はここでコミュニズムの意義を説こうというのではない。映画製作関係者に現代史についての(最低限のレベルの)正確な知識と理解を求めているのである。
by thessalonike | 2004-10-26 22:44 | 『シルミド』 (5)   INDEX  
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