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本と映画と政治の批評
by thessalonike

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韓国映画『ブラザーフッド』 (5) - 日韓の温度差について
韓国映画『ブラザーフッド』 (5) - 日韓の温度差について_b0018539_0292032.jpg映画『ブラザーフッド』をわれわれが評する上で欠いてはならないと思うのは、それが日本国内で期待された事業的成功を十分に収められなかった問題について、正面から考えてみることだろう。日本での興行収入は十億円と言われているが、果たしてこの数字は満足な実績と言えるのか。私が足を運んだ日比谷スカラ座では、週末土曜日というのに館内の客入りはきわめて少なく、座席全体の五分の一を満たしていたかどうか。切符売り場にも行列はなく、隣の映画館で上映している何かに人が集まっていた。少ない観客の中で名作を楽しめるというのは個人的には都合がよく歓迎するところだが、この空前の韓流ブームの真っ只中で韓国映画の最高傑作が上映されようというのに、しかも監督は大ヒット作『シュリ』のカン・ジェギュだと言うのに、都心映画館の週末の意外な不入りに正直なところ愕然とせずにはいられなかった。



韓国映画『ブラザーフッド』 (5) - 日韓の温度差について_b0018539_0293321.jpg確かにテレビでの広告宣伝はやらなかったが、チャン・ドンゴンとウォンビンの来日は各局のワイドショーが詳しく報じていたはずだし、原題『太極旗を翻して』の韓国での公開と空前の観客動員記録については十分に媒体報道されていて、つまり告知の点で不備があったとは思えない。それがカン・ジェギュ監督の作品であるという話題も周知徹底されていて、日本の韓国映画ファンの期待は基本的に高まっていたと言えるだろう。そういう事前状況から考えれば、今回の結果はやはり不発であり、日本での興行は失敗だったと見ている関係者も多いのではないか。『冬のソナタ』には殺到するが、『ブラザーフッド』には興味を覚えない。韓国四天王などと称して俳優をアイドルにして囃して騒ぎながら、映画館には足を運んで作品を見ようとはしない。矛盾したことを日本人はやっている。現在の日本の「韓流ブーム」はどこか奇妙だ。

韓国映画『ブラザーフッド』 (5) - 日韓の温度差について_b0018539_0294425.jpg底の浅い一過性の「韓流ブーム」などで文化交流を果たすのではなく、韓国史上最高の観客動員数を記録した傑作に対して敬意をもって相当数の観客動員で応え、日本人にとっても重要な現代史である朝鮮戦争について歴史認識を共有する端緒にするというような事態があってよかった。これを契機に朝鮮戦争について再び学界や論壇で活発な議論と検証の動きが始まるというような展開があればなおよかった。眼前の事実だけ見れば、日本人はむしろそれを避け、自らにとって苦痛である現代史の歴史認識への対峙を忌避して、その代わりに意味不明な「韓流ブーム」を演出し、韓国の芸能産業や俳優たちに阿って気分よくさせる作為的演技に逃避したようにさえ見える。韓流ブームの消費文化を享楽している日本の女たちは、どこまで朝鮮戦争の真実を理解しているのか。その歴史的意義に思考を及ぼしているのか。

韓国映画『ブラザーフッド』 (5) - 日韓の温度差について_b0018539_030092.jpgとまれ、韓流ブームへの意地悪な偏見と頑迷な説教はこの辺でやめよう。文化交流は困難で堅苦しい歴史認識から入らなくてもよい。何事もカタチから入ればよく、キムチとテグタンから韓国文化に入門するもよし、時代の流行に積極的に便乗してハングルの入門書を開いてみればそれでよいのだ。日本人はあまりに隣国である韓国の歴史と文化を知らなすぎる。各自が各様に自分の自由なスタイルと方法で韓国文化の本源的蓄積を果たして行けばそれでよいに違いないのだ。韓国の人間と実際に話をして気づくことだが、韓国人は日本の歴史を驚くほどよく知っている。クロスオーバーする近現代史だけでなく、近世の歴史も実に詳しい。日本の歴史を知っている米国人などに出会ったことがない。脱線を続けて前置きが長くなったが、本題であるところの『ブラザーフッド』がなぜ日本でヒットしなかった理由について答えを考えよう。

韓国映画『ブラザーフッド』 (5) - 日韓の温度差について_b0018539_03012100.jpg一言で言えば、日本人は真摯な思考と態度を喪失して、それを原状回復させることができないのだ。80年代以来の、ビートたけしやとんねるずがメディアで暴力的に大衆洗脳してセメント化したお笑いと利己主義の思想で精神構造を固められていて、何でも冗談で済ませ片づけられる軽薄な知的対象でなければ、脳内で情報処理することができなくなっているのである。『ブラザーフッド』のような重い内容は苦手なのだ。それを楽しむ知性を失い、それを苦痛と感じる感性に自己を作り変えてしまっているからである。80年代に浮薄で享楽的な生活態度を積極的に肯定し、現代思想(解体と脱構築)の理屈で正当化し定着させ一般化させた日本人。それは戦後民主主義の解体と脱構築にスリ替えられて、消費社会と情報化社会の幻想と交換にさせられたのだが、片や民主主義と市民社会の理念を現実化させていた韓国の80年代がある。

韓国映画『ブラザーフッド』 (5) - 日韓の温度差について_b0018539_0303087.jpgだから韓国に理念的な市民の存在が多くいて、日本からそれが消滅して(解体脱構築して)いて、『ブラザーフッド』に共感できる市民が日本にいない。簡単に言えばそういう話になるだろう。私はカン・ジェギュを尊敬し信頼している。期待と希望を託せる現代の知識人だと信用している。ここまで実力ある本格的な知識人は他にいないのではないかとさえ思っている。だから、日本人の中でも『ブラザーフッド』を正面から評価できる人間が存在することを訴えようとして、こうした批評を書いている。何か偶然の経路でカン・ジェギュにメッセージが届けば、それは彼にとって励ましになるだろう。日本で作品がヒットしなかった事実に拘泥する必要は全くない。私はカン・ジェギュに望むことが二つある。作品を二つ作ってもらいたい。一つは80年の光州事件の映画化である。もう一つは16世紀末の壬辰丁酉倭乱(文禄慶長の役)の映像化である。

挑戦してもらいたい。
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by thessalonike | 2004-09-02 23:30 | 『ブラザーフッド』 (6)   INDEX  
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