本と映画と政治の批評
by thessalonike
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カテゴリ:『いま、会いにゆきます』 (5)( 6 )
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『いま、会いにゆきます』(1) - 薄くて貧弱、物語も世界も
b0018539_16284570.jpg竹内結子主演の映画の方は、原作の小説よりもさらに評価が高いらしい。小説本体の評判が気になってネットの中で調べたが、やはり多くは高い評価を与えていた。「本を読んでこんなに涙が出るのは初めて」とか「中盤からぐいぐい引き込まれた」とか「ティッシュが要ります」とか書いてある。まるで小泉内閣の支持率のニュースを聞いている時のような暗澹たる気分になった。文学作品に対する人の感じ方はそれぞれでよい。だが、この作品はこの国における読書の秋のシーズンのベストセラーで、市場において村上春樹の『アフターダーク』に匹敵するか凌駕するほどの大いなる存在なのである。私は政治では自分が少数派であることに慣れもし、諦めて嫌々ながら現実を受け入れようとも思うのだが、この小説に対して世の中の多数がこのような絶賛の評価を連ねているのを目撃して、残念と言うか、無念でやるせなく、うら寂しい気持ちになる。日本人の停頓を思わせられる。

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by thessalonike | 2004-11-26 23:30 | 『いま、会いにゆきます』 (5)   INDEX  
『いま、会いにゆきます』(2) - 作家の想像力の限界性
b0018539_2041799.jpg確かに巧(たっくん)は傷つきやすいナイーブな感性を持っていて、純文学小説作品で主人公役を張る資質と属性を十分に持ち備えている。語り口や比喩表現は村上作品のそれを連想させるものであり、つまりは現代小説の主人公としての基準に則していると言えるのだろう。しかしそれにしても、電車に乗れない、車の運転ができない、エレベータに乗れない、映画館に入れない、教室での講義を静聴できない、記憶力が極端に悪い、空腹や売薬のために発作を起こして死にそうになる。そういう生まれながらの劣性な体質の人間を主人公に設定するというのも、見方によっては何だか凄まじい感じがする。確かに世の中にはハンディキャップを背負って生きている人間は多くいる。だが生来のハンディキャップの人たちの真実というのは、この小説の巧のような(これほど安易で)完結的な特別の生き場所や生き方を与えられているものだろうか。そういう問題も何となく考えさせられる。

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by thessalonike | 2004-11-25 20:30 | 『いま、会いにゆきます』 (5)   INDEX  
『いま、会いにゆきます』(3) - 新しいプロレタリア文学
b0018539_15583695.jpg映画でどのような映像になっているかはわからないが、小説の文章だけから組み上げられた世界はとても貧しくて、気分的に耐えられなくなるようなもの寂しさに溢れている。うちひしがれた日本が映し出されている。数少ない登場人物は(犬のプーも含めて)どれも不幸な境遇の者ばかりだ。肉親者の偶然の運命や身体の遺伝的体質による不幸ではあるのだが、不幸が不幸という性格を帯びて読者の注意を惹かないのは、この小説の世界が不幸的世界として密閉的に完結されていて、つまりは対極にあるはずの裕福的世界のモメントが捨象されていて、裕福的現実との接触や対立がなく、現世的な不幸と幸福の対立項が描き出されてないからだろうと思われる。簡単に言えば、富裕で贅沢をしている人間とか、権力を持って奢っている人間が一人も出て来ず、例えばこうした設定ではありがちな、弱者である巧の弱みにつけこんで悪意で意地悪する医者といった存在が顔を出さないからである。

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by thessalonike | 2004-11-24 22:30 | 『いま、会いにゆきます』 (5)   INDEX  
『いま、会いにゆきます』(4) - プロレタリア文学の消費者
b0018539_12292554.jpg気がつけば日本人の多数がプロレタリア化して、21世紀の日本に新しいプロレタリア文学が出現している。杞憂や妄想であればよいが、そのような感慨と着想に捉われて容易に脱け出すことができない。コンビニと百円ショップとファミレスとユニクロとTSUTAYAで生活を完結させて暮らしている森永卓郎的な経済的現実もそうだが、島田紳助と太田光と飯島愛に週末のテレビで政治評論をさせて、それをポカーンと口を開けて嬉しそうに涎を垂らして見ている日本人の文化的現実がまさにプロレタりアそのものだ。本屋の店頭で堆く積まれている『電車男』や『キッパリ!』や『いま、会いにゆきます』は、太田光の政治番組に涎を垂らした同じ人間たちが、テレビゲームのパッケージソフトでも摘み取るように本屋のレジカウンターに無造作に置いて、一時の時間潰しをして消費するためのコンビニエントな簡易文化商品であるように思われてならない。

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by thessalonike | 2004-11-23 23:30 | 『いま、会いにゆきます』 (5)   INDEX  
『いま、会いにゆきます』(5) - 二組の両親の捨象の問題
b0018539_14344772.jpg死んだ妻が幽霊になって戻ってくるファンタジックな小説に現実的な論理的整合性を求めても仕方がないし、不粋な話には違いないのだけれど、この作品の設定において一点だけどうしても気になる問題があって、それは巧と澪の両親の問題、つまりこの家族の肉親の人間関係の問題だ。巧の両親も澪の両親も健在で、巧の一家のすぐ近くの町に住んで暮らしている。電車で三十分とか一時間の距離だ。二組の両親の人間像や生活像については何も描かれていないから想像しようもないが、少なくとも巧父子や遠山(ノンプル)のような不幸な影は見えず、つまりは中産で平凡で健全という予想しか読者はできない。そして巧は一人っ子という設定になっている。どうして巧の母親は祐司に会いに来ないのか。どうして祐司と巧の面倒を見に来ないのか。たった一人の息子のたった一人の孫を心配しないのか。

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by thessalonike | 2004-11-22 23:30 | 『いま、会いにゆきます』 (5)   INDEX  
『いま、会いにゆきます』(6) - 澪の死の場面の描写
b0018539_1113995.jpgこの小説の中で一点だけ強く印象に残った部分がある。それは澪が最後に消えて行ってアーカイブ星に帰って行く場面の描写だ。物語のクライマックスであり、澪が幽霊として登場した時点から、読者はこのラストの結末がどう描かれるのかが最大の関心事になって前に読み進む。澪はどのようにしてアーカイブ星に帰るのか。このラストシーンが力が入っていてよく出来ている。突然パッと消えるのかと思ったが、そうではなく徐々に消えて行くのだ。澪が少し苦しそうな様子をしていて、巧に手を握られながら二人で最期の別れをする。これは明らかに澪が病室で息を引き取ったときの情景が暗喩されている。澪はこのようにしてこの町の病院で死んだのであり、二人は最期の言葉を交わし合ったのだ。祐司が「ママ、ママ」と言っているのは、病室のベッドで息絶えた姿の澪に向かって呼びかけているのである。このクライマックスの描き方が実にいい。読者をそのまま感動の世界に誘う。

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by thessalonike | 2004-11-17 23:30 | 『いま、会いにゆきます』 (5)   INDEX  
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