『いま、会いにゆきます』(1) - 薄くて貧弱、物語も世界も
b0018539_16284570.jpg竹内結子主演の映画の方は、原作の小説よりもさらに評価が高いらしい。小説本体の評判が気になってネットの中で調べたが、やはり多くは高い評価を与えていた。「本を読んでこんなに涙が出るのは初めて」とか「中盤からぐいぐい引き込まれた」とか「ティッシュが要ります」とか書いてある。まるで小泉内閣の支持率のニュースを聞いている時のような暗澹たる気分になった。文学作品に対する人の感じ方はそれぞれでよい。だが、この作品はこの国における読書の秋のシーズンのベストセラーで、市場において村上春樹の『アフターダーク』に匹敵するか凌駕するほどの大いなる存在なのである。私は政治では自分が少数派であることに慣れもし、諦めて嫌々ながら現実を受け入れようとも思うのだが、この小説に対して世の中の多数がこのような絶賛の評価を連ねているのを目撃して、残念と言うか、無念でやるせなく、うら寂しい気持ちになる。日本人の停頓を思わせられる。



b0018539_1629378.jpg実際、正直なところを言えば、この本を買って読むかどうか入口のところで私は大いに悩んだ。『ダ・ヴィンチ・コード』と『アフターダーク』と『グッドラック』の3冊を読んで書評を上げたあと、今年の秋はもう何も読むべき新しいものが本屋に並ばず、ただ店頭でウロウロするばかりであり、買い込む新刊は、単行本ではなく文庫本だけという悲惨な状況だったのだ。だがベストセラーという現実が目の前にある以上、それを無視するということは態度の問題として私には悩みであり、結局のところは手に取ることを選択せざるを得なかった。他に何冊か読むものがあればよかったのだけれど、無かったので、やむなくこの本を買って読んだ。多数がこの本を支持している事実を知るべきであり、現実と向き合わなければいけない。果たして、『いま、会いにゆきます』は、買う前に予想していたとおりの中身だった。一言で言えばとてもプアで私の感動にはリーチしない。

b0018539_16291662.jpgネットの評価の中には(きわめて少数だが)当を得ていると思われるものもある。救われる思いがする。文体や文章については、私の場合はむしろ違和感は少ない。率直な印象として村上春樹に似ている。村上春樹の影響を強く受けたのだろうなあと感じるし、村上作品から入門して、アーヴィングやヴォネガットなどの米国文学に親しんで作風を作ったのだろうと思った。それはいい。そしてこの成功で収入を得、それを資本にして次回に本格的な作品を書いてもらえればいい。あの意味不明で奇々怪々な近年の芥川賞作家たちよりはずっとマシだろうと私は思う。日本のこれからの現代小説は村上春樹を幼稚にしたようなものが多く出るだろうし、歴史小説は司馬遼太郎もどきで覆い尽されるに違いない。現時点ですでにそうなっている。それはある意味で仕方なく当然な話ではある。その中から本格的なオリジナルな才能が一つか二つ芽吹いてくれるのを待つしかない。

b0018539_16292958.jpgこの作品には全体に強烈な貧弱感が漂っている。ストーリーが貧弱で読者と作者との間の緊張感が始めから存在しない。最初から筋が見えている。プレーンだ。登場人物も少なく場面展開も厚みがない。最後の澪の手紙の謎解きも、小説の仕掛と呼ぶにはあまりに貧弱でみすぼらしく、不自然で不要とさえ感じられる。貧弱でみすぼらしいのは何より主人公であり、主人公をここまで徹底的に無能者として設定していること自体、作者自身の自信の無さが透けて見える。作者自身の知識の無さ、自我の弱さが主人公の人間像に反映されているのである。語彙も少ない。「化学物質」と「バルブ」と「レベルゲージ」の一言で片付けられていて淋しい。もっと他に表現の仕方があるだろう、村上春樹だったらこう書いてみせるだろう思いながら苛々した部分が何箇所もあった。村上作品の主人公は異端者だが常に能力者だ。知識があり、感性が鋭く、洞察力がある。

b0018539_16294476.jpgいま、会いにゆきます』の主人公の巧にはそれがない。ひたすらボロっちく惨めな男なのだ。そこには一応の文学的観察眼と言うか、村上春樹的な透明でナイーブな感性の張りのようなものがあり、それがすなわち小説の文体でありスタイルでもあり、この主人公はただのバカではないのだが(バカだと小説の主人公として物語を語れない)、村上作品に出てくる主人公とはあまりにレベルが違う。持っている世界が(内側にも外側にも)少ない。つまり知識が少なく関心が少ない。小説の中には具体的なアイテムがほとんど出ない。病気の話が重要な鍵でもあるから、例えばもっと医学的な情報が揃えられてもよいと思うがそれもない。司法書士の事務所で仕事をしているのなら、少しは法律の具体的な中身を入れてもよかろう。料理を作って子供に食べさせるなら、カレーライスとロールキャベツ以外にも何かあっていいだろう。何も無いのだ。貧弱なのである。あまりに世界が薄すぎる。
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作家の想像力の限界が主人公を限界づける
日本における新しいプロレタリア文学の出現   
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不自然な二組の両親の捨象の問題

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by thessalonike | 2004-11-26 23:30 | 『いま、会いにゆきます』 (5)   INDEX  
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