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日中戦争の歴史認識(2) - 物語にならない厭辱の侵略戦争
b0018539_13404224.jpg「日中戦争に関しては、新事実の発掘や新視角からの研究の深化が今日も続いている。しかし、太平洋戦争については、批判・擁護いずれの立場をとるにせよ、その位置づけが明らかになりつつあるが、日中戦争の全体像への言及は、いまだに十分とはいえない」。 これは中公新書『新版日中戦争』(臼井勝美著)の新刊案内キャッチコピーだが、同感である。日中戦争についての全体像が未だ一般的になっていないという点は事実であるように思われる。学界と論壇では、南京大虐殺の犠牲者数の数の問題にばかり関心と争点が集中していて、日中戦争全体の概念や表象がわれわれの中で曖昧である。歴史教科書の中でも、大きく取り上げられるのは盧溝橋事件だけで、その後の戦争の経過については詳述されず、戦線の南への拡大と泥沼化の状況だけで記述が切り上げられている。確かに泥沼化は泥沼化だろうが、戦争は八年間継続されているのである。日本人の中の日中戦争は、太平洋戦争開始への助走路的な位置づけにあり、日中戦争の中盤から終盤が歴史像として明確に認識されていない。



b0018539_1341259.jpg巨大な物語である太平洋戦争のドラマが次に控えていて、そちらが登場した瞬間に日中戦争は背景に退いてしまう。歴史の関心は太平洋戦争の最初から最後までを追跡し、それは一個のドラマとして展開が完結している。われわれは真珠湾からミッドウェー、ガダルカナルからサイパン、フィリピン、硫黄島、沖縄と続く戦線と戦況の推移を地図と日程で頭に入れていて、明確なイメージで概念ができている。また日露戦争についても、ほぼ同様に旅順への奇襲攻撃から始まって、奉天会戦、日本海海戦、ポーツマス条約と物語の全体像が整理されている。だが、日中戦争については、そうした全体像が明瞭ではない。歴史の物語になりにくい戦争の性格があり、特に日本人において、それを正面から正確に認識するのに困難を伴う戦争であると言える。太平洋戦争は全編を大日本帝国の失敗と犠牲の戦争として描くことができ、そのように理解することができる。犠牲になるのは基本的に日本兵と日本国民であり、国家の失敗の分を国民の犠牲がイーブンする。物語として感情のバランスを取ることができる。

b0018539_13412612.jpg太平洋戦争については犠牲という面だけでなく、戦争の原因なり動機という観点からも日本人に物語を納得させられる要素が多少ある。米国に石油を禁輸されたためにやむを得ず開戦に踏み切ったという説明があり、単なる侵略戦争の加害者ではないと僅かに自己弁護できる余地がある。だから物語の像を結ぶことができる。ところが日中戦争の方は弁解の余地のない完全な侵略戦争であり、しかも一貫して残酷で非道な戦争犯罪の嗜虐者であり続けて終始している。戦争の目的も不明瞭であり、後で歴史家に問える大義はなく、後世の人間を納得させられる歴史物語の材料は何もない。そこに登場する日本人は殆ど狂気と鬼畜の人間ばかりであり、残したのは暴力と悪行ばかりで美談はなく、悲劇の物語でもなく、後世の日本人に厭悪と不快のみを残した汚辱の戦争でしかない。日中戦争が歴史にならないのは、そこに物語化できる中身が一つも無いからだ。日中戦争を歴史として対象化しようとするならば、結局はそれを反省的に正視するというスタンスに立つ以外にない。内面的な苦痛を覚悟する以外にない。

b0018539_13414022.jpgいま手始めに秦郁彦の中公新書『南京事件』を読んでいるのだが、日中戦争における日本軍の異常性というものが(左派研究者や中国の側から南京大虐殺の規模の不当過小視を批判されているこの本からでも)よく分かる。特に印象的なのは捕虜に対する扱いで、日本軍は戦争の最初から中国兵の捕虜を認めず、捕虜は即時殺害する方針に徹している。これは捕虜に対する人道的な取り扱いを定めたジュネーブ条約(1929年)違反行為だが、日本軍は戦端が開かれた最初から投降中国兵を殺害処分する軍令を現地軍司令部が末端に通達し、その通りに実行している。南京大虐殺は1937年12月に発生するが、その前の3ヶ月間の上海戦と南京への進軍過程ですでに投降中国兵は殆ど処刑されているのである。虐殺行為は7月の盧溝橋事件の直後から始まって日常化している。日本軍には捕虜を収容管理するロジスティックスがなく、それは施設や食糧や輸送の負担がかかるからであり、要するにコストを嫌がる論理で俘虜を全員殺戮した。参謀本部が俘虜抹殺を前提にして戦争を遂行している。

b0018539_1342332.jpgこの事実は今回の読書で初めて知ったわけではないが、やはり改めて驚かされる問題であり、日露戦争や第一次大戦までは、捕虜に対する待遇において一等国足るべく注意を払い、戦史に汚点を残さぬべく努めた日本軍が、この時点の中国相手だとこうも簡単に豹変するものかと愕然とさせられる。1931年の満州事変の時はどうだったのだろう。あれだけ広大な領土を瞬時に軍事占領したのだから、域内にいた相当数の中国兵や軍閥兵が武装解除されたはずであり、すなわち関東軍の俘虜になったはずである。前に児島襄の本を読んだことがあるが、そこには特に捕虜虐殺処分の話は無かったように思う。日中戦争は満州事変の6年後である。ヒトラーのユダヤ人絶滅も狂気だが、日中戦争の中国俘虜皆殺しも狂気であると言わざるを得ない。1945年8月15日の敗戦のとき、中国大陸には百万人を超える日本兵が駐留していたが、武装解除された日本兵は中国兵に報復を受けることもなく、無事安全に本国に送還されている。概して言えば、この戦争の歴史は、やはり中国の人間が物語として描いて相応しい。

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by thessalonike | 2005-05-16 23:30 | 東京裁判 ・ 南京事件 (10)   INDEX  
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