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日中戦争の歴史認識(4) - 南京大虐殺の犠牲者の数について
b0018539_21361587.jpg南京大虐殺の歴史は犠牲者の数が本質的な問題ではないと思うが、一般にブログや掲示板で四万人説を主張する者がその論拠とする秦郁彦の『南京事件』を一読したかぎりでも、どうやら本当の数はもっと多かったのではないかという印象を自然に持つ。秦郁彦自身が「筆者が約四万人と概算した被害者数も、積み上げ推計に基づいているだけに、新資料の出現で動くことになるかも知れず、あくまで中間的な数字にすぎない」と語っており、また積算方法そのものが読者をよく納得させられるものではないからだ。相当な計算除外がある。秦郁彦の四万人説の内訳は、住民虐殺が一万人で捕虜虐殺が三万人である。これはスマイス調査をベースにした推計なのだが、そのスマイス調査の中身については、信頼性の検証も含めて、本書の中で特に詳しく紹介されていない。犠牲者の数の問題で引っ掛かりを覚える点の一つが埋葬死体数十五万五千体という数字(P.212)であり、これは紅卍字会および崇善堂という民間慈善団体による記録であるが、埋葬死体数だけでも秦郁彦の数字の四倍に上る。



b0018539_21204614.jpg秦郁彦はこの埋葬死体数について「正確性に疑問があり」と言い捨てるのだが、なぜ正確性に疑問があるのか、その評価の理由や根拠については説明していない。他に埋葬死体数の一次史料があるわけでもないのに、恣意的にこの数字の採用を排除している。読者としては秦郁彦の態度に不満に感じる部分であろう。死体埋葬された数だけでも十五万体に上るのである。この『南京事件』の第五章には「検証-南京で何が起きたのか」という題で、突入した日本軍各隊の日誌やメモや従軍記者の記事から、個々の現場での虐殺状況が再現されている。これを見ると、日本軍兵士の証言から、最も多く虐殺が行われた現場は長江の波止場がある市北西部の下関付近で、ここまで捕虜や市民を連行して、そこで集団で刺殺したり銃殺したり斬首したりを繰り返している。死体の殆どはガソリンをかけて焼き、焼いた死体を長江に流して始末している。一部は下関の埠頭に一列に並べて斬首または銃殺し、そのまま長江に遺棄している。焼却処理と水洗処理の方法で死体を始末している様子が窺える。

b0018539_21211729.jpg日本軍部隊の史料からは、殺した中国人死体を埋葬した形跡がない。強姦して殺害した婦女まで含めてガソリンで焼いて証拠隠滅を図っている。南京市文史資料研究会編の『証言・南京大虐殺』を読むと、中国側は日本軍がガソリンで焼却処理した虐殺犠牲者の総数を十九万人と見積っていて、死体埋葬分が十五万、焼却遺棄分が十九万、合わせて三十四万人となり、これが中国側の三十万人説の中身をなす。焼却遺棄分については死体埋葬分ほど確実な史料がなく、現時点で数字を特定するのは難しい。が、日本軍側史料に登場する虐殺処理の情景が殆ど(証拠隠滅と工数節約の二つを目的としたところの)江岸での集団処刑と焼却遺棄であることを考えると、この十九万という数字もあながち誇張ではないように思えてくる。死体埋葬分の十五万人については、もしその人骨が市で保全されているならば、何らか科学的な方法によって南京大虐殺の犠牲者として立証できるのではないか。基本的に秦郁彦の数字は、国際委員会のスマイス報告、またラーベの日記によって説得力が補強されている。

b0018539_21232915.jpg南京陥落時の南京市人口二十五万人というのもスマイスの推定による数字である。ネット右翼が頻繁に唱えるプロパガンダ、すなわち「人口二十五万人の町でどうして三十万人の虐殺が可能なのか」という話も、この『南京事件』の中に登場する。確かに人口二十五万人の町で三十万人を殺戮するのは不可能だが、現実に十五万人の死体埋葬の記録が存在するのである。秦郁彦のように慈善団体の記録を疑うか、それともスマイスの人口推定の信憑性を疑うかのどちらかだろう。『南京事件』を読んだかぎりの印象では、スマイスの人口推計は、従来からの純粋な南京市民で事前に避難脱出できなかった市民の数ではないかとも思われる。戦争が始まる前は南京は百万人の町であった。上海戦の後で日本軍が南京に侵攻を始め、蒋介石や政府高官が長江を西に逃走する頃に南京市民が城内から避難して人口が激減する。が、それでも本当に四分の一まで減ったのかどうか。仮に七十五万人の市民が市外西方へ脱出したとして、実は逆に東から大量の難民が市内に流入していた事実がある。

b0018539_2122588.jpg上海-南京の戦場から戦禍を逃れて南京城に流入してきた難民で、その数は『南京事件』では約十万人とされている。日本軍に掃蕩され家を焼かれた村落の住民もいただろうし、上海戦での敗残兵も多く含まれていただろう。何れにしても南京攻略戦の前後は市の人口が大きく変動して、住民の中身もそっくり入れ替わっている感がある。東から逃げて流れ込んだ難民の多くの部分が日本軍との戦闘に参加した可能性があり、その後の徹底的な便衣兵狩りで摘発処刑されたフシがある。秦郁彦は不法に殺害された市民と捕虜の数の合計が四万人と言うのだが、秦郁彦自身が合法と認める犠牲者の数、すなわち南京事件での死者総数についての言及がない。全体で何人が日本軍に殺されたのかは言わず、ただ人口が二十五万人なのだから三十万人の虐殺はあり得ないと言っているだけのように見える。埋葬死体数十五万人が事実なら、スマイスの人口二十五万人説については中身を再吟味する必要があるのではないか。残り十万人でさらに焼却遺棄分の数が加われば、37年12月末時点の南京の人口は殆どゼロになってしまう。
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by thessalonike | 2005-05-18 23:19 | 東京裁判 ・ 南京事件 (10)   INDEX  
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