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本と映画と政治の批評
by thessalonike

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日中戦争の歴史認識(6) - 日本軍にとって都合のいい「実証」
日中戦争の歴史認識(6) - 日本軍にとって都合のいい「実証」_b0018539_11411765.jpg秦郁彦の『南京事件』を読みながら、読者が何か不自然な感想を抱くのは、秦郁彦が日本軍の蛮行を非難しながら、一方で何故それが起きたのかを探る原因分析の中で、日本軍の虐殺行為を現場の状況として不可避的のものだったように描き、結果的に日本兵の虐殺や強姦を免責する筆致になっていることである。状況的に仕方のない事件だったという論調になっていて、虐殺を実行した者たちの加害責任を追及する視角になっていない。例えば捕虜収容の方針と対策の欠如とか、日本軍そのものの補給の不備とか、軍のシステム上の欠陥のように原因説明がされていて、そうした組織上の条件が整備されていれば虐殺事件は発生しなかったかのような見方が示されている。こういう書き方は欺瞞であろう。日本軍は最初から中国兵は全て殺害する方針で侵略戦争に臨んでいるのであり、兵士のみならず住民も全て虐殺と略奪と強姦の対象なのである。虐殺はシステムの欠陥による偶然の事故などではなく、本来的なものであり、この侵略戦争の性格に本質的に根ざしたものだった筈だ。



日中戦争の歴史認識(6) - 日本軍にとって都合のいい「実証」_b0018539_11412922.jpg虐殺の必然性は、システム(体制)の問題ではなく、コンスティテューション(体質)の問題だったのではないのか。捕虜管理のロジスティックスが無かったから捕虜を処分したのではなく、捕虜を殺害する指針だったからロジスティックスを用意しなかったのだ。秦郁彦の歴史の書き方には、基本的に日本軍の犯罪を免罪しようとする意図と動機が見える。総論としての日中戦争観においては日本軍の問題を一般論的に批判しつつ、各論の虐殺現場の記述になると、状況渦中の戦場心理に内在する書き方となり、日本兵による国際法違反の愚劣な蛮行が非難されず、逆に免責され正当化される基調になってしまっている。例えば便衣兵狩りの問題についても、第三章までのマクロの日中戦争論では批判的な見解を示しているのに、第五章と第六章のミクロの虐殺現場を辿った後の総括では、「便衣兵は捕虜と異なり、陸戦法規の保護を適用されず、状況によっては即時処刑されてもやむをえない存在だ」と言い、虐殺行為を正当化するような議論を展開しているのである。軍の論理。

日中戦争の歴史認識(6) - 日本軍にとって都合のいい「実証」_b0018539_11414035.jpg秦郁彦の虐殺推定数が小さくなるのも、懼く、このような便衣兵虐殺正当化の認識態度があるせいだろう。便衣兵というのはゲリラ兵のことだが、秦郁彦を始めとする日本軍正当化の論理は、要するに南京城攻防戦に参加して敗残兵となり、武器を捨て軍服を脱いで国際安全区に逃げ込んだ中国側の正規兵や民兵たちを、一括して便衣兵として括り、その摘発と処刑を合法化しているのである。敗残兵たちが武器を捨てて国際安全区に逃げ込んだのは、日本軍に投降してもその場で処刑されるからであり、その事情を知っていたから投降せずに逃亡潜伏を図ったのであるに過ぎない。ゲリラ活動をして引き続き抗日戦を戦おうとしたわけではなく、単に人混みに紛れて自らの命を繋ごうとしただけである。秦郁彦の論述にはその部分で巧妙なトリックがあり、便衣兵の概念を操作的に利用することで南京大虐殺の規模を縮小し、読者の関心から虐殺の実態を隠蔽する方向に誘導している。大虐殺の規模を小さく抑えて欲しい者にとっては、この便衣兵論の視角は歓迎すべきものであるに違いない。

日中戦争の歴史認識(6) - 日本軍にとって都合のいい「実証」_b0018539_11415167.jpgどうも変だなと思いながら秦郁彦のプロフィールを検索して確認すると、ウィキペディアには次のようにあった。東京大学法学部卒業。大蔵省入省後、ハーバード大学、コロンビア大学に留学。防衛庁防衛局、防衛研修所教官(現・防衛研究所)、防衛大学校講師、大蔵省財政史室長、大蔵省大臣官房参事官、プリンストン大学客員教授、拓殖大学教授、千葉大学教授、日本大学法学部教授等を歴任。法学博士。変わった経歴の持ち主だが、基本的に歴史学者の出自と来歴の人間ではない。防衛研修所の教官をやったり防衛大学校の講師を歴任している。このキャリア情報で素性が知れるかというところだが、秦郁彦が日本軍の残虐行為に免責的な態度になったり、虐殺規模を過小計算したり、従軍慰安婦の記述を歴史教科書か抹消しようとする動機については、この経歴から推し量ることができるだろう。さらに言えば、秦郁彦がこの本を執筆するに当たって、南京戦に関与した日本軍の関係者から証言や資料の提供を特に受けられた理由について、よく想像を及ばせることができる。

日中戦争の歴史認識(6) - 日本軍にとって都合のいい「実証」_b0018539_1142432.jpg防衛大学講師のキャリアを持つ秦郁彦だからこそ、そうした資料の保有者にアクセスが可能だったのであり、つまりは史料や証言のハンドリングにおいて、南京大虐殺の日本軍関係者が納得できるマイルドな歴史総括が期待できたからこそ、旧軍関係者たちが秦郁彦に喜んで協力したのであろう。「マイルドな歴史総括」とは、加害者たる日本軍関係者の責任を厳しく追及しないということであり、虐殺の状況的妥当性と事故性を強調して描くことであり、中国側からすればすなわち「歴史の捏造」である。ウィキペディアには秦郁彦について「客観的な実証を重んじ、左右に偏向しない現代史家・歴史学者として著名な人物である」と紹介されているのだが、これは紹介者の誤解であるか、あるいは意図的な情報操作であろう。ウィキペディアの情報には信頼性がない。秦郁彦が重んじている実証とは日本軍にとって都合のいい実証であり、歴史家として学問的に公平な実証とは言えない。秦郁彦が「偏向していない」かどうかは南京大虐殺の被害者の立場である中国側の評価も聞いてみる必要があるだろう。

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by thessalonike | 2005-05-20 23:06 | 東京裁判 ・ 南京事件 (10)   INDEX  
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