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東京裁判の有効性を担保する二つの法理 - ポ宣言と通例犯罪
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森岡正宏厚生労働政務官は26日の自民党代議士会で、小泉首相の靖国神社参拝問題に関連し、「中国に気遣いして、A級戦犯がいかにも悪い存在だという処理をされている。A級戦犯、BC級戦犯いずれも極東国際軍事裁判(東京裁判)で決められた。平和、人道に対する罪など、勝手に占領軍がこしらえた一方的な裁判だ。戦争は一つの政治形態で、国際法のルールにのっとったものだ。国会では全会一致で、A級戦犯の遺族に年金をもらっていただいている。国内では罪人ではない。靖国神社にA級戦犯が祭られているのが悪いように言うのは、後世に禍根を残す」などと発言、参拝取りやめを求める中国などを批判した。この発言について、細田官房長官は同日午後の記者会見で、「政府の一員として話したということはあり得ない」と述べた。その上で「事実関係には種々誤りも含まれ、論評する必要はない。(東京裁判の結果については)日本として受諾したという事実がある」と指摘した。  (26日 読売)




b0018539_182363.jpgこの森岡正宏の暴論に対する反論は、28日の朝日新聞の社説だけで十分だが、少し補足を加えておく。まずサンフランシスコ講和条約で日本が東京裁判の結果を受諾した点が重要だが、もう一つ国際法上重要なのは、東京裁判の開始前にその開廷を日本が認めている事実である。日本は単に東京裁判の結果を認めて受け入れただけでなく、東京裁判という戦争裁判の開催を事前に認めて受け入れている。具体的にはポツダム宣言の受諾であり、その第10項には次のように書かれていた。「吾等は日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加へらるべし」。今日、東京裁判の国際法上の正当性と妥当性は、このポツダム宣言第10項とその受諾によって基礎づけられている。逆に言えば、連合国による戦争裁判を受けるのが嫌だったならば、ポツダム宣言を受諾してはいけないのであり、その条項が撤回されるまで無条件降伏せず戦争を継続すればよかったのである。

b0018539_1824999.jpgポツダム宣言を受諾した当人は、陸海軍の統帥権者であり、大日本帝国の主権者であった昭和天皇だが、同じ同盟国の統帥権者であるヒトラーやムソリーニの最期を知っている天皇は、当然ながら死刑を含む自己への責任追及と訴追有罪を覚悟していたことだろう。国家元首であり、軍と政府の二つの大権を総攬して戦争政策を指導していた昭和天皇が、戦争責任を免除されるとは本人も思っていなかっただろうし、英米蘭を含めて全ての連合国の国民も思っていなかったことだろう。ポツダム宣言を受諾できる政治主体は昭和天皇しかなく、天皇が戦争継続と言えば臣民は最後まで本土決戦に従って死んで行っただろうし、天皇が終戦と言えば命が助かったと思って安堵したのである。天皇の意思に抗って戦争を継続しようとした者は(一部を除いて)いなかった。神聖ニシテ侵スベカラズの昭和天皇が戦争裁判を承諾して降伏を受諾したのだから、その承諾について歴史的事実の正統性を覆すことはできまい。裁判を受諾した以上は、誰かが起訴され有罪となり刑殺される。戦争責任が問われ、責任を引き受けさせられる。

b0018539_183411.jpgそれともう一つの問題は、森岡正宏が言っている「平和、人道に対する罪」の問題だが、確かに右翼が主張するように、東京裁判には刑罰不遡及の原則を逸脱して事後法を適用した瑕疵がある。東京裁判の無効を主張する側の有力な論拠だが、右翼が都合よく忘れている重要な一点を上げれば、東京裁判で被告を裁くにあたって裁判官が適用した罪は、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」の他に、もう一つ「通例の戦争犯罪」がある。これは俘虜虐待、民間人の殺害、財物の掠奪などで、当時の国際法上存在していた戦争犯罪であり、東京裁判で起訴され処刑された者の罪責を辿れば、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」を持ち出さなくとも、基本的に「通例の戦争犯罪」のみが適用されて裁かれて十分だったのではないかと思われる。絞首刑に処せられたA級戦犯7名のうち、広田弘毅を除く6名が陸軍の要人であり、参謀長、司令官、陸相等々の軍職で日中戦争を作戦指導していた最高幹部である。文官の広田弘毅が最高刑で断罪されたのも、その理由は南京大虐殺の外交責任を問われたことによる。

b0018539_183216.jpgパール判事の日本無罪論も議論としては十分に説得力があるが、それはあくまで原爆投下や東京大空襲によって非戦闘住民を大量虐殺した米国の戦争犯罪に対して主張し得るものであって、日本が中国に向かって無罪論や東京裁判無効論を吹聴できる道理はない。秦郁彦の『南京事件』に登場する印象的な場面だが、南京大虐殺の責任を問われて死刑判決を受けた松井石根が、刑の執行に臨んで次のような言葉を残している。南京事件はお恥ずかしいかぎりです。(中略)私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味でたいへんに嬉しい(P.45-46)」。森岡正宏やネット右翼は、この松井石根の言葉を厳粛に受け止めるべきであろう。何れにせよ、東京裁判をどう見るかという問題は、まさに日中戦争と南京大虐殺の歴史認識の問題と直結している。右翼が南京大虐殺の史実を必死に抹殺しようとするのは、南京大虐殺を裁いた東京裁判の無効を根拠づけるためである。両者は密接不可分の問題であり、歴史認識と言いつつ、まさに現在の焦眉の政治問題に他ならない。
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by thessalonike | 2005-05-27 23:30 | 東京裁判 ・ 南京事件 (10)   INDEX  
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