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三位一体 - 東京裁判、南京大虐殺、昭和天皇の戦争責任
b0018539_16472779.jpg東京裁判』上下巻(朝日新聞東京裁判記者団著)は、実は今から20年以上前の1983年に、講談社から出版と同時に購入していたのだが、これまで一度も頁を開くことなく書棚に封印したままだった。森岡発言の事件があり、東京裁判について何事か考えてみようという気分になり、今回初めて本を繙く機会を得た。蒙を恥じるばかりだが、本を買ったのは、このときドキュメンタリー映画の『東京裁判』(小林正樹)が製作、封切されて話題になっていたからである。当時を反省して振り返れば、東京裁判にしても南京大虐殺にしても、特に複雑な歴史世界に踏み込んで研究しようという知的欲求や問題意識は持っていなかった。それはすでに整理がついた現代史の問題であり、殊更に詳細にその周辺の知識をストックしたり、豊かなイメージを保有する必要を感じなかったのである。年齢も若く、もっと他の世界に知的関心が向いていた。それは掘り下げて考えてみれば、戦後民主主義の幸福な太平洋高気圧の下で、私自身と日本人が平穏に生活していた状況を意味する。



b0018539_1647522.jpg東京裁判の意味をあらためて考える機会を得たことは、ある意味で幸運であったと言えるかも知れない。藤岡信勝らの自由主義史観運動が論壇を席巻したのが今から十年ほど前だが、一瞥して、議論の中身があまりに粗末で稚拙で乱暴であり、およそ知的興味やエネルギーを向ける対象とはならず、そのときもあたらめて東京裁判の問題を検証しようなどという意欲は起こらなかった。その後、特にネットの中で若い世代と思しき右翼と左翼の面々が、掲示板の上で南京大虐殺や東京裁判について精力的に論じ合っている風景を見たが、何やらやたら細かな重箱の隅を穿るような歴史ディベートと醜悪な罵倒言語が無造作に羅列されている掲示板記事の群れを見て、それを真面目に追跡して関心を共有したり論争に参加しようなどとは全く思えなかった事情がある。むしろ逆に、そういう政治臭に塗れた問題からはなるべく身を遠ざけようという動機が無意識に働いて、南京大虐殺などの現代史の問題について思考をフリーズさせていたようにさえ感じられる。

b0018539_1648116.jpg上巻の半ばまで読み進んだが、一言で言って非常に面白い。これはジョンダワーの『敗北を抱きしめて』と並んで文科系の大学生の必読文献に指定すべき一冊だろう。東京裁判とは何であったのか、単に当時の事実過程だけでなく東京裁判の歴史的意義というものが明確に理解できる内容になっていて、読みながら一文一文の前で立ち止まって沈思熟考させられる。考えさせられる思想的な問題が重くぶ厚い。あらためて東京裁判の意義の大きさに慄然とさせられた。と同時に、右翼が言っていた「東京裁判史観」という奇妙な言葉遣いの意味も少し理解できてきたようにも思われる。東京裁判は単に戦争犯罪者を裁いて正義を明らかにした裁判ではない。これまでその意義の方を中心に理解していたのだが、それ以上に、実はこの戦争の真実を明らかにした裁判なのであり、要するに戦争の歴史的真実をジャッジした裁判なのである。裁判が正義と真実の二つを明らかにする使命を持つことを、私はこれまで東京裁判に対する認識において根本的に欠落させていたのだった。

b0018539_16482990.jpg東京裁判は日本の戦争の真実を暴露した点で画期的なのだ。裁判に関わった検事団と判事団の手で、まさに日本の現代史の真実が白日の下に晒され確定された。だから右翼は「東京裁判史観」という響きの悪い単語を喧しく何度も言い上げるのである。東京裁判の起訴状朗読と冒頭陳述があるまで、日本の国民は満州事変の真実を知らず、また南京大虐殺の惨劇についても何も情報を得ていなかったのであり、満州事変前後の謀略の真実は、東京裁判を伝える報道記事で初めてそれを知ったのである。戦後の日本人の現代史認識において東京裁判の持つ意味と影響は決定的なものであるだろう。歴史家や学者の果たした役割はむしろ補足的なものであり、膨大な証拠と証言を収集し精査して、20世紀日本の歴史的真実を明らかにしたのは、まさしく市ヶ谷に集まった検事と判事たち、すなわち法律家たちだった。マッカーサーの下僚として、黒衣の革命家として軍国主義日本を解体する革命に臨んだのであり、司法の強制力をもって短期で真実を暴き出したのである。

b0018539_16484022.jpg東京裁判において刑法の共同謀議の法理が積極的かつ戦略的に援用され、満州事変に関わった日本の軍部と政界の動きが事細かく調べ上げられたのは、この戦争が誰によってどのように惹き起こされたかを事実確定するためであり、それを日本国民と被害国国民に知らしめるためであった。東京裁判によって日本の現代史の一般認識が確定された。が、右翼とは別の視角で私には東京裁判に対する批判がある。それは東京裁判が明らかにした正義と真実から昭和天皇が洩れてしまった問題である。戦争を始めたのは軍部であり、日本の現代史は軍部の暴走の失敗史となり、責任は軍部にあるという総括になった。軍部という言葉を巧みに駆使していろいろな責任者が戦争責任から身を隔離した。軍部という言葉が氾濫する戦後の歴史教科書は本当は間違っていると私は思う。戦争を始めたのは天皇と軍部である。国民を戦争に引き摺ったのも天皇と軍部である。天皇の真実を明らかにしなかった点が東京裁判の限界であり過誤である。六十年経った今もそれが大きく尾を引いている。

東京裁判は中国への侵略戦争と南京大虐殺を裁く裁判であった。そして東京裁判と南京大虐殺は実のところ天皇の戦争責任の問題と密接不可分の問題である。東京裁判、南京大虐殺、昭和天皇の戦争責任、この三つは問題として三位一体なのだ。
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by thessalonike | 2005-05-30 23:30 | 東京裁判 ・ 南京事件 (10)   INDEX  
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