イ・ウンジュの遺作『スカーレットレター』 - 韓国映画の性愛表現 
b0018539_11141018.jpgイ・ウンジュの遺作となった話題の作品『スカーレットレター』を有楽町シネカノンで見てきた。期待して劇場まで足を運んだのだが、残念ながら全く面白くなかった。韓国映画も全部が全部面白いわけではない。駄作も多い。これまで映画館で六本、DVDで四本、合計十本の韓国映画を見たけれど、面白かったのはそのうち五本で、題名を並べると、『シュリ』『JSA』『猟奇的な彼女』『ブラザーフッド』『スキャンダル』である。無論、ブログにも書いたように『ブラザーフッド』が圧倒的に抜きん出ている。残りの五本は面白くなかった。途中で見るのをやめた作品も二本ある。この作品はある殺人事件の謎解きを主軸にしたサスペンス・ミステリーだが、映画の売りはイ・ウンジュの裸体である。イ・ウンジュが脱いで大胆なラブシーンを演じ見せるというのが最大のセールスポイントであり、自殺事件とは無関係に、この作品が客を呼ぶバリューはそこにだけあったのだろうと思われる。韓国でこの映画がどのように評されているかは知らない。



b0018539_11151518.jpg正直に感想を言えば、この作品が遺作になったことはイ・ウンジュにとって気の毒に思えてならない。スクリーンの中のイ・ウンジュはきらめく存在感があり、女優としての本来的な魅力は確認できたが、こちらにはやはりあの『ブラザーフッド』のヨンシンの感動的なイメージがあり、イ・ウンジュには彼女に相応しい名作の配役が与えられなければ、その持てる才能も生きないのだということがよく分かる。『スカーレットレター』を見て失望や不満を感じたのは韓国の観客も同じだったのではないだろうか。彼女の演技力が生かされる脚本とドラマになっておらず、裸ばかりが期待されるストーリーと映像になっている。そしてイ・ウンジュもそれを承知でこの企画を引き受けたのだろうと思われる。自殺の動機やら原因の中に、この映画での裸の露出に悩んでいたという情報があったが、映画を見るとそれもあながち嘘ではないように思えてくる。イ・ウンジュがこの映画に満足と納得を覚えていなかったのは間違いないのではないか。

b0018539_11144565.jpgこの映画はイ・ウンジュのスレンダーな裸体を見せるための映画であり、彼女はそれを覚悟してオファーを受けた。プロの女優としてのチャレンジだと思ったのに違いない。裸を見せると言っても、実際には全裸にはなっておらず、上半身もカメラから隠されているし、ラブシーンも日本人の一般感覚からすれば特に露骨とは言えない。エロティシズムを堪能させられた印象はなく、イ・ウンジュの官能演技という点でも、期待外れと言うべきか、思ったとおりと言うべきか、肩透かしを食わされる内容だった。思うに二つの問題があって、この作品の監督を含めて韓国映画そのもののエロス表現のパースエーションのレベルが低いということと、イ・ウンジュ自身の官能演技のパフォーマンスが未熟ということがある。そしてその二つ目の問題については複雑で、ファンの男たちは半ばそれを歓迎し、半ば落胆したということがある。女優がラブシーンが未熟ということは、現実の人生において恋愛経験が少ないということをほぼ直接に意味するからだ。

b0018539_1115196.jpg日本の女優でラブシーンが上手で見せ場を作っていた人と言えば、松坂慶子と太地喜和子の二人が挙げられる。大谷直子も指を折っていいかも知れない。率直に言って、セックスについて経験と自信と理論を持っていて、セックスに対して肯定的・積極的で、セックスを自分からリードできる女でなければ、映画のシーンを撮影してそれが観客の目に印象的に届くということはない。豊かで充実した性的世界に生きている女優でなければ、それを説得的にプレゼンテーションすることはできない。映画でラブシーンを演じて見せるということは、自己の快楽体験を再現して観客に教えるということであり、その官能表現を初めて見て感動する者もいれば、同じ官能表現を確認して共感を覚える者もいる。松坂慶子や太地喜和子のラブシーンが印象的だったのは、それが自由で豊穣であり、官能表現に対して個性的で解放的であり、性愛の幸福と満足が表現されていたからであり、女の悦びと可愛らしさがよく伝わってきたからである。

b0018539_11142965.jpgイ・ウンジュの性愛演技にはそうしたものが感じられなかった。ラブシーンが愛を見せるシーンではなく裸を見せるシーンになっている。そしてそれは今回の作品だけでなく韓国映画全般について感じるところでもある。ラブシーンがぎこちなくプリミティブで説得力がない。緊張感が強くて解放感がない。性は男女が互いに求め合い楽しみ合うものであるのに、その本質的な契機が演出と演技の中で剥落している。逆に言えば、現在の日本社会がそれだけ性にルーズでオープンなのかも知れないし、また民族的文化的な伝統や差異の問題もあるのかも知れない。が、それらの問題は全て括弧に括って、映画に対する満足の問題という市場的商業的側面だけから見て言ったとき、韓国映画のラブシーンは日本人には物足りなく不自然で不満に感じられるということは確かに言い切れるのではないか。韓国映画がエロティシズムを今後どう表現してゆくか、イ・ウンジュの悲劇を繰り返さずにそれをどう方向化するか、関心のあるところである。

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by thessalonike | 2005-06-24 23:30   INDEX  
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