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選択のとき - テロから身を守る方法はイラクから撤退すること
b0018539_1036145.jpg不幸にして、また森本聡や水口章がテレビで荒稼ぎする憂鬱な季節を迎えた。イラク戦争が始まる直前、二年前の2月にロンドンでは百万人の市民が参加する空前の反戦デモが起きた。イラク戦争への抗議行動としては最大規模のものである。英国市民がそこに参加したのは、単に無辜のイラク民衆の生命を米軍の侵略戦争から守るためだけではなく、自分たち自身の安全を守るためでもあった。英国が米軍のイラク攻撃を支持し、さらに英軍がイラク戦争に参加すれば、当然、報復としてイスラム原理主義の過激派からテロの標的として狙われる。ニューヨーク911の二の舞になる。だから市民たちは必死になってイラク戦争を阻止しようとしたのだ。今回、犠牲になった五十名超の中には、そのときの反戦デモに参加した者もいるだろう。犠牲になった市民の冥福を祈るとともに、英国がイラクから軍隊を撤退する決断を下すことを願いたい。同様の列車爆破テロはイラク開戦から一年後の2004年3月にスペインのマドリードで起きている。このときも三つの駅で四つの列車が爆破されるという同時多発テロで、二百名の市民が犠牲となった。



b0018539_10362815.jpgテロから二週間後に総選挙があり、イラク攻撃を支持して軍隊を派遣した国民党のアスナール政権が敗れ、反戦を掲げた野党の社会労働党が勝利。政権交代が実現して、サパテロ新首相は公約どおりスペイン軍のイラクからの撤退を発表した。結果的にテロが政権交代を実現させたようにも見えるが、アスナールがブッシュに同調さえしなければ、二百名の生命は奪われずに済んだのである。スペインでのテロと政権交代はその後EU諸国の政治に大きな影響を与え、オランダ、ポーランド、ノルウェ-などが撤退を決意する引き金となった。英軍が簡単に撤退するとは思わないが、今回のテロ事件は再び国内とEU各国に動揺を与え、特に政権がイラク駐留延長を決めているデンマークは深刻な局面に立つだろう。グレンイーグルズに集まった首脳たちはテロ非難声明を発表するブレア首相の背後に並んで、ブレア首相の「テロとの戦い」を支持していたが、実際にこの中でイラクに軍隊を派遣している国は英国を除けばイタリアと日本の二国だけである。イタリアは政府職員が米軍に射殺された事件の後で段階的撤退を発表している。

b0018539_1036404.jpgイラクに軍隊を駐留させ続ける方針を変えていないのは日本だけだ。いつテロの標的にされてもおかしくない。サミット会場のテレビ映像では、中国の胡錦涛もロシアのプーチンもインドのバジパイも一列に整列して、世界中の首脳が「テロとの戦い」に結束しているような演出をして見せたが、胡錦涛やプーチンやバジパイの言う「テロとの戦い」は、ブッシュやブレアが言う「テロとの戦い」と同じ意味ではない。胡錦涛にとってのテロリストとはチベットやウィグルで分離独立を策している活動家であり、プーチンにとってのテロリストとはチェチェン独立運動に参加しているイスラム教徒であり、バジパイにとってのテロリストとはカシミール領有をめぐって政権を攻撃、ヒンズー教徒と抗争している親パキスタンのイスラム過激派である。米英によるイラク戦争を支持しているわけではない。ブッシュの「テロとの戦争」の標語を都合よく拝借して、自国内の過激な反対派を鎮圧する大義名分として政治応用しているのである。プーチンのチェチェン攻撃などは本当なら国内少数民族に対する虐殺と弾圧だが、「テロとの戦争」の標語が正当化の根拠を与えている。

b0018539_10365136.jpgここ数年間に世界の人類が学んだように、テロを撲滅することは不可能だが、テロから身を守ることはできる。テロ攻撃の標的から身を逸らすことは可能である。日本もスペインと同じ選択をすることだ。イラク戦争に反対したフランスとドイツではテロは発生していないし、発生する可能性もない。自衛隊をイラクから撤退させれば、日本本国の市民も、イラクに在住する日本人も、危険な目に遭うことはない。イラクに自衛隊を残し続ければ、自衛隊員の命も危険にさらされるし、日本国内の市民もテロの標的として狙われる。戦争は政治の一部であり、武器を手に取った外交であると言われる。テロも同じあって、それは政治闘争の延長であり、武力に劣る弱者が強者と戦うとき、戦闘形態はある場面ではゲリラ戦となり、ある場面ではテロリズムの発動となって表出される。テロ論については稿を別にして再び論じたいが、日本史では幕末の勤皇志士の過激な革命行動がまさにテロである。王政復古のクーデターの直後、薩摩は陽動作戦として江戸の街に放火した。倒幕して新政権を樹立した薩長の革命家は全てテロリストである。

b0018539_1037616.jpg「テロとの戦争」という標語そのものが矛盾を含んだ政治的イデオロギーなのであって、冷静に直視すれば、その観念の欺瞞性と操作性は明白である。「テロとの戦争」の大義を無自覚に受容してはいけない。ここ数年間、日本は膨大な政府予算と国家資源を対テロ政策に振り向けてきた。対テロの名目で自衛隊と警察に装備と人員と経費を与えて肥え太らせてきた。テロ対策の旨味で荒稼ぎした官僚機構も多いだろう。それが全部で何兆円の勘定になるかは分からない。治安警察による思想統制の法体制整備という斉藤貴男的な問題視角とは別に、この財政危機の折に日本はテロ対策で莫大な無駄遣いをしたと言えるのではないか。有効需要とは無縁な、経済学的に分類すれば国家の戦費とも言える財政支出で国民の税金をドブに捨てた。インド洋で米艦に対して海上自衛隊が行っている燃料補給などはその最たるもので、国民の安全確保とは全く無縁のものである。むしろテロ攻撃の危険性を増幅する愚かな政策だ。テロ問題の議論は憂鬱だが、日本が米国の「対テロ戦争」に付き合って失ったものを勘定するにはよい機会である。

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by thessalonike | 2005-07-08 23:01 | テロ ・ イラク戦争 (3)   INDEX  
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