祈りの日 - 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
b0018539_16322395.jpg今日は慰霊の日。毎年の事ながら平和記念式典の中継に感動させられる。NHKらしさを感じる秀逸な映像。広島放送局が制作しているのだろうけれど、経験の積み重ねがきちんとあり、同時に一瞬も気を緩めない緊張感があり、また世代を繋ぐ文化的伝統の継承がある。何度もリハーサルを重ねて生の本番を撮っている。一年に一回だけ、わずか半時間の中継放送に賭けるスタッフの思いがよく伝わって来る。この平和記念式典の中継と大晦日の『行く年来る年』の二つが、私にとってNHKらしい価値のある素敵な番組である。被爆六十周年はあるが被爆七十周年はないのだという被爆者のメッセージもよく届いた。今年の秋葉市長の平和宣言もよかった。秋葉市長の平和宣言は格調高く、心に残るもので、『ニュースステーション』で全文の朗読を放送した年もあった。今年の平和記念式典はCNNが生中継したと言う。日本の政治家の中でも、中身のある感動的な演説ができる人間がいるのを見て、米国の報道関係者やTV視聴者は驚いたに違いない。



b0018539_16325837.jpgTBSの『ニュース23』も素晴らしかった。長い番組の歴史の中でも金字塔的な快作の一つと褒めてあげてよい。『多事争論』の話の中身もよかった。筑紫哲也は、特にイラク戦争を境にして番組に手を抜かなくなり、現在は円熟の境地の如き風格を漂わせている。そして佐古忠彦がどんどん成長して、二人のコンビネーションが絶妙になってきた。人間が成長するのを見るのは嬉しい。佐古忠彦の姿はそういう喜びを感じさせてくれる。昨夜の長崎からの特番報道は、佐古忠彦のアイディアが構成と企画に入っているように見え、彼が満足できる映像の工夫と仕上を思わせた。キレがいい。そしてメッセージがシュアで共感納得できる。『多事争論』の主張は、原爆投下をあらためて戦争犯罪の問題として捉え直そうという提起だと思うが、当を得た議論である。広島の平和祈念を単に核兵器廃絶の決意と宣誓のみに収斂させず、戦争犯罪の告発と再認識の契機にしようという考え方には賛同できる。そしてその歴史認識の提案は有意味だろうと思う。

b0018539_16324894.jpg語り継ぐことの大切さは、筑紫哲也と佐古忠彦だけでなく、『クローズアップ現代』の国谷裕子も力強く訴えてくれていた。米国の高校生は原爆の悲惨さを知らず、原爆投下は戦争を終わらせる手段として正しかったと信じているのだが、その子供たちが被爆者の写真を数枚見ただけで、表情を一変させ、これまでの考え方を変えて行く。そういう放送をやっていた。原爆の被害の実態を全く知らないのである。そして知識を持てば考え方が変わるのだ。教育がいかに重要かということの証左であり、語り継ぐことの重要性が示されている。被爆者の写真を見れば原爆の熱線で体を焼かれるということがどういうことかが分かる。原爆に対する考え方が変わる。被爆者たちは苦痛を感じずに一瞬で天国へ行ったわけではなかった。地獄の痛みに苦しみ、苦しみ抜いて死んだのであり、生きながらえた人々も後遺症で苦しみ続けたのである。そういう被爆者が何十万もいて、それは何の罪もない一般市民で、原爆投下さえなければそのような目に遭うことはなかったのだ。

b0018539_16442634.jpg平和記念式典を見ていると、少しずつだが米国や欧州からの市民の参加が増えているような感じがする。彼らに原爆投下の戦争犯罪を考えてもらいたい。原爆投下は正当性のない戦争犯罪であったという世論を大きくして欲しい。彼らが原爆投下の加害責任を自分の問題として自覚するようになって欲しいし、我々はそのように世界を導くべきであり、別の言葉で言えば教育をすべきだ。核兵器の廃絶も、それを為政者や市民に促すのは、原爆の被害のイマジネーションと同時に、原爆投下の戦争犯罪の責任意識に懸かっているのではないか。それが犯罪ではなく、正しい行為であったのなら、同じ事を再度やっても倫理的な問題はないのだ。戦争の手段として正当化されるのである。被害のイマジネーションと加害責任の自覚。この二つを世界に訴えて教育する必要がある。だからこそ、筑紫哲也が言っていたとおり、日本人がまず自己の侵略戦争の加害責任を認めなければ、米国人に原爆投下の加害責任を反省せよと言う資格もないのである。

b0018539_16332448.jpgいつか広島と長崎に米国大統領が来て、原爆慰霊碑の前で謝罪するという歴史を得なくてはいけない。核兵器の廃絶も我々の目標だが、同時に米国大統領による謝罪も日本人にとって大事な目標である。必ず謝罪させなくてはいけない。そのためにも天皇を南京に訪問させて謝罪をさせなければならないのだ。生きている間にそうしたことが実現すればよいと願う。秋葉市長の平和宣言は立派だったが、小泉首相の挨拶は中身がなかった。挨拶の中には平和憲法の遵守と非核三原則の厳守の言葉があったが、小泉首相自身が憲法改正論者であり、平和憲法否定主義者である。挨拶の文言に内実がなかっただけでなく、去年もそうだったが、この男は広島の平和記念式典での挨拶の文面をわざと棒読みで読んでいる。嫌々ながら読み上げているのだという態度を思いっきり露わにして棒読みにするのだ。日韓首脳会談のステートメントを読み上げたときもそうだった。いかにも棒読みだという態度を明らかにして棒読みする。本当に腹が立ったし、秋葉市長以下の広島市民や被爆者たちも同じだっただろう。絶対に許さぬ。

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by thessalonike | 2005-08-06 23:30 | 憲法 ・ 改憲 ・ 平和 (7)   INDEX  
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