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象徴としての「郵政民営化」 - 政策選択ではなくイデオロギー選択
b0018539_1133927.jpg小泉首相の演出政治に踊らされているマスコミは、民主党に対して、郵政法案に対案を出せないのは無責任だと言って非難しているのだが、そもそも、今回の小泉自民党の郵政民営化法案などというものは、対案を出して審議するほどの価値と内実のあるものだったのか。国民的争点になるほどの重要問題だったのか。その「改革」の中身がお話にならないほど瑣末で無意味なものだったから、党内でも纏まらず、廃案必至が言われ、参院であっさり否決されたのではなかったか。国会ですらまともな政策論争にならなかったものが、何故に総選挙で国民の意思を問う争点になると言うのか。郵政改革については二年前に郵政公社法が成立施行されて、公社法に則って公社自らが経営改革を進めることになっている。言われているところの、東京駅前に中央郵便局の建物があるから交通渋滞の原因になっているとか、特定郵便局の世襲制の問題とかは、現行の公社法の枠内で改革を進めて行けばよい話であって、何も無理に郵政民営化法まで持ち出す必要のある問題ではない。事業内容の拡大や変更については、四年間の郵政公社の経営実績と業務改善を見て、そこで判断すればよい問題であった。



b0018539_11333361.jpg国民は現在の郵便局に不満を感じているわけではなく、郵政改革は時間をかけて進めればよいというのが解散前の多数世論だった。国民は郵政民営化を急いではいなかった。この騒動があるまで、郵政民営化は国民にとってプライオリティの低い問題であり、並べられた十個の政策課題の中で、下から二番面に関心の低い序列のものだった。郵政民営化を急いでいるのは日本人ではなくて米国政府米国資本なのである。日本人にとって本当に郵政民営化が国民生活上の死活問題であったなら、今国会が始まる前から世論は高まっていたはずだし、もっと言えば、自民党内が法案の是非で分裂するなどという事態は起きなかったし、衆院でも参院でも法案は可決されていたはずである。郵政民営化を急ぎたいのは、民営化された郵政公社を買収したいハゲタカ資本である。三五〇兆円の資金を濡れ手に泡で手に入れたい米国資本である。解体した郵政公社の株式をを売却して、売却益を得たい財務省である。日本人にとっては必要のない不要な政策を、いかにも国民的な焦眉の課題のように演出して国民を騙す。その小泉首相の演出政治手法に(騙されたフリをして)手を貸しているのがマスコミなのだ。

b0018539_11251688.jpg郵政民営化法案には政策的な中身がなく、すなわち国民に訴えられる具体的な法制上の福利がなく、これが本当は米資にカネを貢ぐための法案であることを国民の目から隠すために、小泉首相は郵政民営化の中身については絶対に国民には説明しない。「改革」のシンボルとして強調するのみである。衆院を解散した小泉政権にとって、「郵政民営化」は政策ではなくてシンボルなのであり、「改革の象徴」として訴求して支持を糾合するキーフレーズなのである。8日夜の小泉首相の解散演説を聞いた直後に、瞬間的に気分情緒を高揚させて小泉支持に振れた層というのは、郵政民営化法案の中身については何も知らない人間たちだろうし、法案の中身が改革とは無縁のものであることも理解していない人間たちばかりだろう。小泉首相の迫真の政治演技と自民党抗争劇の芝居を見て、短絡的に郵政民営化を改革の象徴として観念し賛同してしまった衆愚である。ポピュリズムとは衆愚政治の別称だ。選挙期間中、小泉自民党は郵政民営化の中身については議論をしないだろう。これは改革の象徴だというフレーズを繰り返してイメージの刷り込みに徹する。衆愚が納得した本当のものは小泉首相の演技力である。

b0018539_1134087.jpg政策ではない。政策ではなく演技に納得したのに、政策に納得したと衆愚は錯覚する。信じ込む。これが観念倒錯だ。小泉首相と竹中平蔵は、今度の郵政民営化問題の争点化にあたって、郵政民営化は「小さな政府」政策の象徴であり、郵政民営化に賛成か反対かは、「小さな政府」に賛成か反対かの選択なのだと選択構図を説明している。プリミティブで衆愚には分かりやすい構図化だが、まず最初にこの説明には大きな嘘がある。郵政公社の職員35万人は確かに国家公務員だが、その給料は事業収入の中から工面されているのであって、国庫には一銭も負担をかけていない。国民の税金は郵政公社職員の給料には支出されておらず、その意味では日本の郵政事業は「小さな政府」的国営事業の典型であるとすら言える。「大きな政府」か「小さな政府」かという問題は、国家公務員の頭数の問題ではない。国民の税金が多く使われるか、それとも少なくて済むかという問題こそが本質だ。だから竹中平蔵の「小さな政府」の論理には詐術(スリカエ)がある。公務員の数と小さな政府とは関係がない。

b0018539_11341346.jpg国家公務員の数を現在の十分の一に削減しても、国家予算の規模が縮小しなければ、決して「小さな政府」にはならない。借金財政を抱えながら整備新幹線と新空港建設のために増税する政府が、どうして「小さな政府」を指向している言えるのか。今回、小泉政権は「小さな政府」と「官から民へ」をスローガンにして、財政再建の政策の中身ではなくて、イデオロギー選択を突きつけて選挙戦を戦っている。そういう構図で選挙民の意識を固めようとしている。この選挙はイデオロギーの選挙である。新自由主義のイデオロギーの正当性を正面から政権が問う選挙であり、国民一人一人が新自由主義の思想を時代の信念として自己のものとして認めるか、あるいは、そのイデオロギーの欺瞞性と不当性を見破って否定するかの選挙になる。新自由主義のイデオロギーの呪縛から日本を解き放って、新しい公共経済主義の方向性を対置できるかどうかの思想戦になる。市場原理主義と公共経済主義の戦いである。新自由主義者の唱える「小さな政府」は本当に国民の幸福に繋がるのか、竹中平蔵の路線に従えば本当に国民の負担は減るのか、小泉首相は本当に特殊法人を清算する意志があるのか、国民一人一人が真実を見窮める選挙である。

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by thessalonike | 2005-08-13 23:30 | 郵政民営化 ・ 総選挙 Ⅰ (15)   INDEX  
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