竹中平蔵の「小さな政府」論を批判した
稿の中で、新自由主義者の「小さな政府」への原理主義的志向は、実のところ古代奴隷制への回帰だと論じたことがある。その主張の中身を少しだけ埋めたい。最近は経済学の本や論文を全く読まなくなった。野口悠紀雄や田中直毅の頃はそれなりに読んでいた。最後は金子勝のセーフティネット論とクルーグマンの「流動性の罠」を表面だけ斜め読みして、そこから先は経済学の話が全く面白くなくなって読まなくなった。世の中を「勝ち組」と「負け組」に分ける経済理論には私は興味と興奮を覚えない。「勝ち組」と「負け組」の存在を社会的に前提した経済理論は読む気がしない。だから森永卓郎も読まない。私が読みたいのは、昔の宮崎義一のような夢のある格調高いマクロ・エコノミーであり、市民社会を構成する中産的な生活者である市民が、日本経済を分析したり構想する上で有意味な思考材料を提供する社会科学である。最近はそういうものが無くなった。日本から経済学が消えたと言ってもいい。理論らしい理論はすべて米学で生産された英語のドキュメントであり、日本人がやるのは翻訳と口パクの無批判受容だけだ。
繰り返しになるが、「大きな政府」というのは国家予算の規模の大きな政府のことを言い、国民からの税徴収額、即ち国民負担の大きな政府のことを言う。公務員の数の問題ではなく、国営事業の有無が本質ではない。国の
予算支出を見ると、社会保障費は20兆4千億円で全体の25%だが、公共事業費が7兆5千億円で9%、防衛費が4兆9千億円で6%、ODAが7千億円で1%となっている。「大きな政府」を批判する新自由主義の論者は、必ず社会保障費の部分に目を付けて、社会保障費=「大きな政府」と因縁をつけ、それを減らせとか、財源が無いなら消費税を上げろと脅すのだが、普通に考えれば5兆円もある防衛費を半分に削ればいいのであり、ODAを半額にすればいいのである。防衛費5兆円など「大きな政府」の極みではないか。専守防衛の自衛隊が何に5兆円も使っているのか。また、国家予算の半分を国債で賄っているような借金大国が、国民から増税してまで無理に外国に経済援助する必要があるのか。ODAは国が黒字になってから再開すればよく、財政赤字の日本が借金を増やしてまで外国に援助する必要はないと思うがどうだろう。
で、経済学に不勉強なので、歴史の方面から直観的にアプローチしてみたいが、この問題を考えるときに頭を過ぎるのは、公共経済と市民社会の歴史的発展という問題だ。最近の「水」をテーマにしたNHK特集が面白いが、平安期の日本に寝殿造という貴族の館の建築様式がある。描かれた絵を見ると、庭に大きな池があって、そこに小舟を浮かべて貴族が優雅に遊興したりする。「のほほん」としていい感じなのだが、注意して観察するべきは、庭に引いた水は地域を流れる小さな河川の一部であり、すなわち飲み水としての上水道であり、排水路としての下水道であったという問題だろう。貴族が川の水を勝手に屋敷の中に引いているのであり、川が流れている場所に私邸を建てているのである。つまりここでは川と川の水は貴族の私有なのだ。周辺一帯の土地が全て貴族(豪族)の私有であり、それは単に地面だけでなく、流れる川も、山の森も、そこに生きる動物も植物も全て貴族の私有なのである。水利権は貴族が独占して庶民にはない。そして結論づければ、他の動植物と同じように地表の上に生きている人間も貴族の私的所有物なのである。事実上の奴隷。
関東平野は西から流れて来た連中が蝦夷を追っ払って原野を開墾し、巨大な田畑の平地に変えた。逃亡した班田農民が(米国の西部劇の開拓民が原住民を西へ追っ払って土地を奪ったのと同じように)そこを一所賭命の私有地とする。三浦氏、千葉氏、比企氏。鎌倉武士の豪族の名前は同時に彼らが支配する土地の名前でもあり、支配地の行政経済単位は荘(庄)であった。荘園なのである。村はまだない。村が出来るのは鎌倉から室町にかけてであり、村という実体(概念)が出現して初めて日本の社会は古代を脱する。庄から村へ。村の成立こそまさに末端の人間の主体性が日本史に登場する瞬間であり、直接生産者が動物(被所有物すなわち奴隷)から人間になる。自立的な共同体としての村(ドルフ・ゲマインシャフト)が社会を構成する最小の行政経済単位になる。村長(むらおさ)がいる。村長は庄屋だが、すでに古代の豪族と同じ権力ではない。村人に対する生殺与奪の権限はない。勝手に川の水を屋敷に引き込んで私有する権利はない。すなわち、村は公共的な共同体になっている。パブリックな契機が成立していて、川の水は共同体のものである。
竹中平蔵の「小さな政府」の説教を聞くときは、ぜひこの日本史における庄から村への発展の原理的意味と寝殿造の水利の話を併せて考えていただきたいのだ。人間の歴史とは、結局のところ、こうしてパブリックを拡大して、一部ではなく全部が社会の福利にありつけるように発展してきた歴史ではなかったのか。個体が共同体を作って経済的な権利を獲得し、それを守り拡大してきた歴史ではなかったのか。奴隷が市民になってきた歴史ではなかったのか。ヘーゲルは歴史の発展とは自由の精神の拡大だと言っている。自由の精神の拡大の歴史とは、裏返して言えば、人民が隷属から解放されて自由を手にしてきた歴史という意味であり、それはまた、社会を単に私的所有の分割と集合に止めるのではなく、まさにパブリック(市民社会)を拡大してきた歴史である。パブリック(公共社会)の発展と拡大こそが人類史の流れであり、具体的に言えば、社会保障が制度として手厚く公平に配慮される社会こそが、人類が目指してきた理想の社会なのだ。ワイマール憲法の歴史的意義もそこにある。私がこれまで竹中平蔵の新自由主義を批判して、パブリックを強調したときのパブリック(公共経済社会)とは、ひとまずこのような歴史的な概念であり理念である。