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本と映画と政治の批評
by thessalonike

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世に棲む日日
世に棲む日日_b0018539_15282454.jpgブログ名の「世に倦む日日」は、司馬遼太郎先生の有名な歴史小説の題名から頂戴したものである。「棲」と「倦」の字形が似ていて、これは長年懐で温めてきたところの、誰にも先を越されたくない - 我ながら絶妙の - コピーアイディアであり、HPかBlogの標題を新規に掲げるときは必ずこれにしようと心に決めていた。小説をまだお読みになられていない方がおられれば、この機会にぜひご一読されたい。小説は二人の革命家の物語である。一人は29歳で死に、もう一人は27歳で死んだ。二人がいなければ明治維新はなかったと思うが、二人とも維新の日を見ることなく非業に斃れた。27歳と29歳である。日本史の教科書に名前が載って、後からの業績めいたものが簡単に付言されて歴史の偉人になってしまうと、その人物のリアリティが見えなくなる。渋谷の街を歩いている同じ年頃の男の子たちを思って欲しい。特に松陰は日本思想史の巨星であり、学問研究され続けるテキストであり、松蔭神社の神様であり、その若さが実感されることがあまりない。



世に棲む日日_b0018539_15284213.jpg小説『世に棲む日日』は松蔭の魂を慰める詩篇である。私はこの作品で松蔭の思想を学び、その人生の実像を知った。それまでの松蔭の印象は完成された思想家であり、熟達した教育者の姿であったのだが、作品で知った松蔭は全くそうではなく、愛すべき純粋無垢な俊才青年であり、正義感と使命感の塊であり、燃えるような理想主義者であり、知行合一(陽明学における理論と実践の統一のテーゼ)に命を賭け、旧体制に激突して身を滅ぼした革命家であり、非業の運命を選び受け入れつつも、若くして生を絶たれる不条理に身悶えて絶叫した人間だった。物語の最初から最後まで感情移入して心から離れない存在だった。『世に棲む日日』の主題と基調は、松蔭の遺書的文書である『留魂録』の一節にあり、すなわち、季節に四季があるように人間の生には春夏秋冬がある、短くても長くても一人一人の生には意味と完成が与えられているという死生観だった。それは松蔭が自分を慰めた言葉であり、司馬先生が松蔭と子規を慰めた言葉だった。

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今日死を決するの安心は四時の順還に於て得る所あり。蓋し彼の禾稼を見るに、春種し、夏苗し、秋苅り、冬越す。秋冬に至れば人皆其の歳功の成るを悦び、酒を造り醴を為り、村野歓声あり。未だ曽て西成に臨んで歳功の終るを哀しむものを聞かず。吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾稼の未だ秀でず実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。然れども義卿の身を以て云へば、是れ亦秀実の時なり、何ぞ必ずしも哀しまん。何となれば人寿は定りなし、禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。二十は自らニ十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。五十、百は自ら五十、百の四時あり。(中略) 義卿三十、四時已に備はる、亦秀で亦実る、其の秕たると其の粟たると吾が知る所に非ず。若し同志の士其の微衷を憐み継紹の人あらば、乃ち後来の種子未だ絶えず、自ら禾稼の有年に恥ぢざるなり。同志其れ是れを考思せよ。   (留魂録)

世に棲む日日_b0018539_1529672.jpg私の三十代の読書は司馬先生が全てだった。往復の電車の中で、随筆も小説も、全ての作品を読破した。多くの教えを受け、愉快で満ち足りた時間を過ごした。司馬先生が死に、大袈裟に言えば体重を減らすほどの思いをして、一人で追悼と慰霊のHPを作って先生の霊に捧げた。自分の一生の仕事はこれだろうかと思い、それでもよいと思った。未完ではあるが、「作品としての社会科学」として中身には自信がある。司馬先生は十年前の住専問題の折に最後の憂国の訴えをされて死んだが、その死はまさに憤死だったと私は思っている。死ぬ間際、このままでは日本は滅びると予言し、日本人と呼ばれる人間は地面の上でべちゃーっと生きているでしょうが、本当の日本人は滅びていなくなっているでしょうと悲嘆していた。果たして先生の予言どおりになり、滅ぼされて支配され、フィリピンと同様の米国の半植民地になった。今、べちゃーっと地面の上で生きている日本人が最後に残していた虎の子の貯金350兆円が米資に吸い取られようとしている。

世に棲む日日_b0018539_15291913.jpg司馬先生が生きておられたら、今日の日本をどう言われるだろう。司馬先生が生きておられたら、堀江貴文のような不遜な若僧の舞い上がりは許さなかっただろう。新自由主義の跳梁跋扈も許さなかっただろう。何より総理大臣の靖国参拝は決して許さなかっただろう。滅びるだろうと予言したが、同時に、滅びる前に若い草莽の志士が日本を変革するべく立ち上がるだろうということも信じていたに違いない。そういう日が必ず来るものと信じたい。肉体は滅びても思想は生きる。内橋克人が言っているとおり、小泉純一郎の「構造改革」も、橋本龍太郎の「行政改革」も、小沢一郎の「政治改革」も、所詮は水野忠邦の「天保の改革」であり、松平定信の「寛政の改革」であり、徳川吉宗の「享保の改革」であり、幕藩体制維持のための上からの改革でしかない。行き詰まった政官業の癒着の構造を一時延命させるための目晦ましの政治を「改革」と名付けて呼んでいるだけだ。このまま行けば、「上からの改革」の末路は、わが国を外国に売るだけの、甲午改革後の朝鮮や戊戊変法後の清国と同じになる。外国(米資本主義)に支配されて日本人は植民地奴隷同然になる。

倒幕しかないのだ。 
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by thessalonike | 2005-08-27 23:56 | プロフィール ・ その他   INDEX  
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