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本と映画と政治の批評
by thessalonike

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マニフェストは商品仕様書ではない - 「白紙委任」こそ選挙の真実
マニフェストは商品仕様書ではない - 「白紙委任」こそ選挙の真実_b0018539_1143585.jpg政党のマニフェストを商品の仕様書や見積書のように言う議論は本当は間違っている。そのような言説は国民を政治への理解にではなく誤解に招くもので、最終的には「裏切られた」という政治不信に導くものである。カタログは現在ある商品の機能や効能を説明するものだが、マニフェストは将来を約束するものだ。これから四年間の将来には様々な予期せぬ事態が起こり得る。東京で大地震が発生するかも知れないし、中台の間で戦争が勃発するかも知れない。国内でテロが起きるかも知れない。ドルとNY株式が大暴落するかも知れないし、あるいは中国経済のバブルが崩壊するかも知れない。全て予測は不可能である。予測は不可能だが、そうした不測の事態の出現は間違いなく日本の経済や財政を直撃するし、日本の安全保障上の運命を決定する政策判断に直結する。マニフェストにはそのような環境変動の要素は何も記載されていないのだ。現時点の環境がそのまま続くことが前提である。



マニフェストは商品仕様書ではない - 「白紙委任」こそ選挙の真実_b0018539_11431831.jpgしかし環境は必ず変わる。北川正恭のマニフェスト論は、まさに企業の「中期計画」(LRSP)を連想させる説明なのだが、企業の中計の紙の上でさえ、四年後の売上と利益の目標を立て、事業構造の将来図を描き、それを実現する施策を並べる時は、それに先行してまず環境の変化を予測する。企業を取り巻く環境がどう変わるかを描き出して、その上で中期の事業目標を立てるはずである。政党のマニフェストには環境の変化についての言及がない。それは当然の話で、将来は常に予測不可能だからである。無責任な事は言えない。北川正恭らマニフェスト論者は、マニフェストの個別施策には必ず数値や期限の目標を入れなさいと言うのだが、経済環境の変動は国庫の税収グロスを必然的に動揺させる。特に法人税の徴収額を左右する。法人税総額の変動は予算編成、特に国債発行額に影響する。景気がよくなれば国債発行を減らせるし、法人税の収入が激減すれば国債に頼らざるを得ない。

マニフェストは商品仕様書ではない - 「白紙委任」こそ選挙の真実_b0018539_11433356.jpgここで言いたいのは、自民党の与謝野馨が言っているような、政権政党には責任があるから選挙前に細かな数値を約束する事はできないという議論の - 逆説的な意味での - 弁護である。民主党やマニフェスト論者は、数値目標の公約を回避する自民党に対して無責任だと批判するのだが、一度公約で数字を出せば、それは後で数値を違えた場合に事後検証されて、失政責任を問われる批判材料になる。前の小泉首相の国債発行額30兆円以内の公約のように、撤回事実と違約責任を責められ続ける瑕疵になる。批判する側はそれでよいのだが、批判される側は堪ったものではないので、なるべくリスクを避けて細かな数字を公約に入れないようになる。民主党は、政権公約に具体的な数字を明示しない自民党を無責任だと言い、自民党は、逆に政権を取れない民主党が好き勝手に国民に数字を約束する方が無責任だと言う。二つの無責任論がある。そしてこれは両方の主張に理がある。どちらかの主張が一方的に正しいわけではない。

マニフェストは商品仕様書ではない - 「白紙委任」こそ選挙の真実_b0018539_1143435.jpg民主党のマニフェストは、いくら上面の格好がよくても政権が奪れなければただの紙であり、政治的に何の意味も価値も無いものなのだ。検証のしようがない。今回のマニフェストも民主党が選挙で過半数の議席を制して政権が奪れなければそこで紙屑になる。自民党のマニフェストも、仮に政権を維持して公約に拘束されたとしても、将来に何か新しい環境の変動が生じれば、そこで数値の破綻や違約の弁解は可能である。自民党を信じた有権者の方が悪いというだけの話だ。つまり早い話が、極端に言ってしまえば、両方とも紙きれなのだ。仕様書でも見積書でもない。サービス競争のチラシでもない。選挙のツールである。だから有権者の側からすれば、結局はどちらを信じるかという問題である。テロであれ、地震であれ、インフレであれ、不測の事態が起きた時でも、どの政権が国民の幸福を守るべく対処するかという判断なのだ。政党は国民にコミットはしない。国民が政党にコミットするのだ。政党はフリーハンドを求めるのみである。

マニフェストは商品仕様書ではない - 「白紙委任」こそ選挙の真実_b0018539_1144962.jpgだからマニフェストだけを読んでそれで政党を評価するのは間違いなのだ。本当に評価し判断しなければならないのは、その政党がこの二年間に何をやってきたか、党首や幹部が何を発言してきたか、汚職や非行で議員が逮捕されなかったのか、外国との関係はうまくやったのか、そういう過去の政治実績である。そういう政治実績の情報こそが政党への評価材料として国民の前に提示されなければならない。国民はそれを見て、どの政党を信じるかを決めるべきなのだ。投票はコミットメントであり、権利の預託であり、極論すれば信仰の決断なのだ。誰の言うことを信じるかという問題である。政権に就いたことのない民主党のマニフェストを自民党のマニフェストと同じレベルで評価することは論理的に不可能である。同じレベルで評価するのなら、民主党に一度政権を取らせて実績を作らせなければならない。民主党が政権を握らない間は、日本の政治は二大政党制ではなく、すなわちマニフェスト比較には意味がないのだ。世論操作のショーでしかない。

基本的に白紙委任なのである。信じた政治家に日本の将来を白紙委任するのだ。それが選挙だ。選挙にクーリングオフはない。
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by thessalonike | 2005-08-29 23:30 | 郵政民営化 ・ 総選挙 Ⅱ (15)   INDEX  
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