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本と映画と政治の批評
by thessalonike

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公示日の朝の小さな出来事 - 大津事件と畠山勇子の死
公示日の朝の小さな出来事 - 大津事件と畠山勇子の死_b0018539_12421371.jpg明治24年5月20日、畠山勇子が京都府庁前で喉を突いて自殺した。その十日前に来日中のニコライ皇太子が暴漢に襲われて重傷を負うといういわゆる大津事件が起き、日本中が騒然とする中、一命を捧げてロシアに詫びるとして東京から汽車で下り、露国宛てと政府宛ての嘆願書二通を府庁に投じてその場で果てた。25歳。日清戦争の三年前、まだ日本は維新から間もない極東の弱小国で、この事件を口実に大国ロシアに宣戦布告でもされたら国家の滅亡が必至の時期だった。畠山勇子はロシアに日本を許してくれるよう嘆願して命を引き換えにする義挙に及んだのである。司馬先生が何かの本で大津事件と畠山勇子について紹介していた記憶があるが、何の本だったか忘れてしまった。義挙は暴挙でもあり、見方はどの時代でも分かれるのだろうが、司馬先生の書き方は畠山勇子の行動に対して同情に溢れていた。そこに司馬先生の好きな明治の精神のかたちを見たからだろう。



公示日の朝の小さな出来事 - 大津事件と畠山勇子の死_b0018539_12414747.jpg公示日の朝の事件を聞いて思い浮かんだのは大津事件と畠山勇子のことだった。一報のあと続報はなく、一部には精神が不安定だったという家族の話が紹介されたりしている。マスコミの報道は、今回の50歳の主婦の行動の政治的な動機や目的や背景に注目するのではなく、それを専ら警備の問題としてニュースにし、選挙日のテロ対策がどうとかなどと言っている。彼女の事件に対して政治的意味を持たせる報道を排除し、自爆テロまがいの愚挙に失敗した頭のおかしな女としてしか描いていない。真実が不明なので何も言いようがないが、私が想像を及ばせたのはマスコミ報道の論調とは全く別のもので、何もかもが戦前に戻ってしまったなあというものだった。選挙戦の最中に、現政権の維持の阻止を叫んで国民の一人が抗議の自殺を遂げた例はこれまで記憶にない。デスペレートな気分になる身辺の問題がきっとあったのだろうけれど、これはどう見ても一つの政治行動である。

公示日の朝の小さな出来事 - 大津事件と畠山勇子の死_b0018539_12423534.jpg公示日の朝という注目の集まるタイミングを選んでいる。長野にいながら東京の官邸周辺の地図をよく精査している。あの近辺は慣れない者にはそれほど分かりやすい地理ではない。坂があり、道路は碁盤目に配されておらず、何より警察の警備車両が異常に多くて、初めて車を運転して来た者はそれだけで圧倒されヘジテイトしてしまう。官邸北門まで車で突破して侵入できた事実一つをとっても、不意を衝いたとはいえ、事前に周到に実行計画を練った形跡が窺える。デスペレートな境遇に置かれた者の発作的な狂気だったのか、それとも政治的な効果を狙って賭けた義挙だったのか、その中間だったのか、誰かが取材をして調査しないと真実はわからない。が、残された家族もあり、この人の今回の行動が畠山勇子ほどの美談になることはなさそうな予感がする。言えることは、我々は政治に追い詰められているのだ。同じデスペレーションは、程度の差はあれ、各人に等しいものであるはずだ。

公示日の朝の小さな出来事 - 大津事件と畠山勇子の死_b0018539_124345.jpg私はこの事件に言いようのない悲しみを感じ、けれどもそれはマスコミでは発信されず、マスコミは自殺の意味を内在してすくい上げようとはせず、一報を聞いた誰もが心の中で感じたはずの小さな同情や共感に光を射てようとしない。だからこうしてネットで彼女を弁護する立場を言う。一人の人間の命は重く尊いものだ。誰にとってもそれがいちばん大切なものだ。命と引き換えに訴えようとした抗議の政治主張には耳を澄まして聞く態度を持ってよい。新自由主義の二極分化政策が進められて、下へ下へ追いやられた者たちは、生活の権利を奪われ、生きる希望を失わされ、心を病むほどの絶望に支配されている。同じ日本国民でありながら、同じ年頃の「勝ち組」の女たちは、総理大臣に愛でられ、優先座席の比例上位名簿に載り、テレビでさんざん顔を売って国会議員様になるのである。それを見た「負け組」の彼女の憤怒と絶望が、遂に身を滅ぼす臨界点に達したとしても不思議ではない。

公示日の朝の小さな出来事 - 大津事件と畠山勇子の死_b0018539_13355959.jpg続報は朝の朝刊紙面には一行も無い。恐らく朝のワイドショーでも何の話題にもならないだろう。公示日の各党首の第一声の風景とか、注目選挙区の刺客ギャルの奮戦模様とか、そういう定番ネタで埋めつくされている。公示日を狙った彼女の行動は、抗議のメディア・エクスポージャーという意味では、残念ながら逆の結果になった。昔、ベトナム戦争が始まった頃、南ベトナムの独裁者であったゴ・ディン・ジエムの妻にゴ・ディン・ニューという有名な冷血の女がいて、戦争と暴政に抗議してサイゴンの街で焼身自殺を繰り返す仏教僧を見て、「人間バーベキューね」と言った逸話があった。そんな話も思い出した。ガソリンを全身にかぶり、炎に包まれて、立ちながら黒焦げの死体に変わって行く仏教僧の姿は、モノクロの映像ではあったが、何人も実写で記録されている。ABC製作のドキュメンタリー作品にも登場する。我々は事件を起こした主婦のことを「人間バーベキューね」と言って蔑むのはやめよう。
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by thessalonike | 2005-08-31 23:30 | 郵政民営化 ・ 総選挙 Ⅱ (15)   INDEX  
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