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本と映画と政治の批評
by thessalonike

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薩長同盟の政治 - 政治とは可能性の芸術である (ビスマルク)
薩長同盟の政治 - 政治とは可能性の芸術である (ビスマルク)_b0018539_1219177.jpg別のところで論じた同じ話を繰り返させていただくけれど、薩摩と長州が同盟しなければ明治維新は実現しなかった。明治維新が成らなければ、恐らく日本は列強の侵食を受けて半植民地の状態になり、相当に奇怪で卑湿な近代史を歩んだに違いない。そのイフヒストリーは、例えば朝鮮や清国の失敗と挫折の歴史から簡単にイマジネーションすることができる。薩と長が結ばなければ、京で慶喜と久光の幕薩政権が樹立されていただろう。私はそのように考えている。封建制の保守については久光が代表し、上からの近代化を慶喜が代表する奇形的で動揺的な政治権力。民心は常に離反しがちで、政権内部も分裂と内紛を繰り返し、民族が一つに纏まらず、格差や地域差が異常に開き、外国に国富を削がれ、内憂外患の中で悪戯に疲弊し自滅する日本。そのような日本の姿を想像する。明治国家のようなクリアでステイブルな近代国家は世界史に登場することはなかっただろう。



薩長同盟の政治 - 政治とは可能性の芸術である (ビスマルク)_b0018539_12193060.jpg幕末史に龍馬が出て、薩長同盟の奇跡が起こった。薩長同盟は実に奇跡であり、その奇跡のおかげで、日本人はおよそ考えられる可能性の中で最良の近代を選び取ることができた。龍馬の存在がなければ薩長同盟の成立はなかった。甲午改革後の朝鮮や戊戊変法後の清国のような屈折と醜態と停頓から免れられなかった。歴史が教科書になってしまうと、われわれは明治維新とその後の明治国家の歴史を必然の物語として捉えてしまう。現在の立地から当時を意味づけてしまう。それが必然の経路ではなく、まさに偶然の一条の隘路だった真実をよく想像できない。薩長同盟と倒幕の路線よりも、久光と慶喜の薩幕政権の方がはるかに蓋然性が高く、その方向へ導かれる可能性が大きかった。その場合は、蝦夷地は間違いなくロシア領になっていただろうし、琉球諸島は英国領か米国領になっていたのではないか。佐渡と対馬はロシアと英国が奪い合っていたように思われる。

薩長同盟の政治 - 政治とは可能性の芸術である (ビスマルク)_b0018539_1220254.jpg当時の状況を考えてみたとき、無論、圧倒的多数の庶民は、きっと現在と同じように政治には無関心で、あるいはせいぜい政治を茶化して楽しむ程度の傍観者だったに違いない。松蔭たち尊皇攘夷派の危機意識も、国内の多数を占める無知な百姓どもが、外圧に対して何も危機感を感じず、仮に外国軍が上陸侵略して来ても逆にニコニコと愛想を振りまいて侵略者に近づき、外国勢力と結託して平気で日本を売るのではないかという猜疑心と恐怖心にあった。いつの時代でも政治は同じだ。が、末端階層より少し上の知識層、村の庄屋とか、町の商人とか、下級武士のところでは逆にナショナリズムが燃え上がっていて、このままではアヘン戦争後の清の二の舞になり、一刻も早く近代的な統一国家を確立して富国強兵に邁進せざるを得ないという情勢認識が常識になっていた。

薩長同盟の政治 - 政治とは可能性の芸術である (ビスマルク)_b0018539_12201423.jpg思うのだが、特に安政の大獄期の革命派への弾圧を見た京の町衆とか、村の庄屋たちの部分では、新しい革命勢力である長と薩が連携して幕府を倒してくれたらいいなあと誰もが心の中で思っていただろう。幕府の「改革」は(言葉だけで)もう駄目で、どれほど慶喜が有能な改革の指導者でも、徳川幕府に任せていたら日本は滅びると思っていたに違いないのだ。が、それと同時に、とは言っても幕府の持つ権力と軍事力は諸藩と較べて絶大で、さらに禁門の変で長州が暴走自壊した後は、希望は薩長革命政権だけれど、成り行きは幕府の新改革路線(慶喜の構造改革)に落ちつくのかなあと誰もが現実的に考えていたに違いないのだ。希望というのは実現しないから希望なのだと、いつの時代でも人がそう思うように、当時の日本人もそう思っていたに違いないのだ。禁門の変で薩は長を裏切り、ために長の革命派は壊滅的な打撃を受け、村塾一の俊才の久坂玄瑞をも失っていた。

薩長同盟の政治 - 政治とは可能性の芸術である (ビスマルク)_b0018539_12211438.jpg薩への怨念は深く、それは当然であり、長にとって薩は幕会以上の不倶戴天の敵であった。だから誰もが薩長同盟は諦めていた。その不可能を可能にしたのが、天が日本史のために使わした土佐の青年龍馬であり、龍馬はその仕事を華麗に果たして天に還った。薩を説き、長を説き、二者を会させ、一瞬の呼吸で不可能を可能にしたのは龍馬である。薩長同盟は前提においてイーブンな同盟ではなく、長は薩と組むことができなければ滅亡以外に道は無かった。薩は慶喜の改革路線と組むカードがあり、保守久光はむしろ慶喜と同盟するか、あるいは島津幕府こそが本来の願望であり、長と組む革命路線はギャンブルの選択に他ならなかった。薩が倒幕のギャンブルに踏み切ったのは、仲介者が龍馬だったからであり、仲介を受けた薩のリーダーが西郷だったからである。西郷と桂と龍馬。三人のうちどれが欠けても薩長同盟はなく、明治維新はなかった。奇跡が起きて日本人に幸福な歴史を与えた。

われわれの前には常に可能性だけがある。可能性を選ぶのは人間である。歴史を作るのは人間だというのはそういう意味である。ビスマルクは「政治とは可能性の芸術である」と定義した。
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by thessalonike | 2005-09-09 23:30 | 郵政民営化 ・ 総選挙 Ⅱ (15)   INDEX  
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