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本と映画と政治の批評
by thessalonike

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英国二大政党制の愚神礼賛 - 「政治改革」学者の誤謬と帰結
英国二大政党制の愚神礼賛 - 「政治改革」学者の誤謬と帰結_b0018539_11414136.jpg司馬先生がどこかで書いていて、感銘深く覚えていることだが、日本人は常に外国の政治に理想のモデルを求める性癖があるという指摘があった。そのとき司馬先生が冷めた視線を送っていたのは、日本の左翼知識人における盲目的なソ連信仰や中国信仰であったと思うが、それだけでなく、奈良朝の平城京パビリオン建設に象徴される唐律令制システムの無条件全面導入の歴史なども念頭にあったのではないかと思われる。日本人には確かにその傾向がある。文明は常に外にあるものと信じ、一生懸命に文物を輸入し翻訳し、外国で何か流行っているものを見つけると、それを神のように崇めて国内で流行らせようとする。司馬先生の言葉が私の中で説得的に響くのは、ソ連社会主義への愚神礼賛が終わっても、なお、この国の知識人たちは同じ事を繰り返しているからだ。モデルは外つ国にあり、そのモデルを一刻も早く日本にインプリメントしなければならぬと説く人間が勢いを持つ。論壇の主役で踊り、囃される。



英国二大政党制の愚神礼賛 - 「政治改革」学者の誤謬と帰結_b0018539_21123879.jpgステージは変わり、論者は変わり、モデルは変わっても、そのパターンだけはいつも同じだ。今度の選挙でも、と言うか、最近の政治でも、テレビに出て来る政治学者が喋る口上は決まっていて、英国の二大政党制と小選挙区制選挙の話ばかりだ。英国の選挙区の候補は党中央が独断で決定して、地縁のある選挙区出身の人間は候補に立てないとか、ブレアの労働党が伸びたのは右の新自由主義に路線転換して保守票を取り込んだからだとか、政権党が169議席から2議席に激減したカナダの小選挙区制は素晴らしいとか、そんな話ばかりだ。司馬先生が生きておられたら、「そんなに英国の政治ってのはいいんですかね」と皮肉の一つも言うのではないか。右の学者から左の学者まで、政治学者がマスコミで垂れる能書きの全部が英国政治の礼賛ばかりじゃないか。朝から晩までサッチャーとブレアの話ばかりじゃないか。飽きるよ。他の国の政治の制度や経験は参考にならないのか。英国ばかりでいいのか。

英国二大政党制の愚神礼賛 - 「政治改革」学者の誤謬と帰結_b0018539_11421272.jpg私が「薩長同盟の政治」を論じたのは、それが小泉政治に対抗する全野党共闘や社共連合のイマジネーションにおいて有効な思考材料になるからという意味もあったのだけれど、それ以上に、日本人がいま大事な政治の選択や決断をするときに、やはり参考するものとして、日本人の政治の経験をそこに持ち出したかったからだ。日本人にもこんないい政治経験があり、我々の先祖はこのように政治をして、未来を、つまり我々が生きている現代を作り出してきたのだということを言いたかったからだ。日本人自身の政治経験の中に、我々が活用したり応用したりできる立派な政治のモデルがあるのだということを訴えたかったからだ。モデルは自分たちの歴史から拾い出せるはずだ。薩長同盟の政治も、天下三分の計の政治も、我々に大いなる政治変革のイマジネーションとインスピレーションを与えてくれる。日本の政治学はあまりに外ばかり見すぎ、最近は特に英国ばかりをモデルとして理想視しすぎている。日本は英国ではない。

英国二大政党制の愚神礼賛 - 「政治改革」学者の誤謬と帰結_b0018539_1255227.jpg私のこれまでの経験から言えば、社会状況が大きく違うという問題は別に置いて、日本の政党政治が溌剌として輝いていたのは1970年前後の時代だった。成田知巳、竹入義勝、不破哲三、佐々木良作。野党指導者たちの演説は情熱と迫力に溢れ、街頭演説であれ、テレビ討論であれ、見る者を釘付けにして離さなかった。主義主張は異なっていたが、その弁舌と闘志は聴く者の胸を熱くさせるものが確実にあった。政治に賭ける男の素晴らしさを存分に感じさせてくれていた。あのとき、政治は価値のある大事なものだと日本中の誰もが確信していて、政治に知識と関心を持っていて、家庭や地域や職場の日常で政治をよく論じ合っていて、投票率は当然のように70%を超えていた。野党の挑戦を迎え撃つ自民党の指導者にも、政治家としての大型の個性と思想があった。三木武夫、大平正芳、田中角栄、福田赳夫。そういう中選挙区制時代を覚えている人は、その頃と今の小選挙区時代の二大政党制とを較べて欲しい。

英国二大政党制の愚神礼賛 - 「政治改革」学者の誤謬と帰結_b0018539_12195392.jpg日本の民主主義にとってどっちが本当にいいのか。よかったのか。私は日本の民主主義にとっては中選挙区制の方がよく、そこに戻すべきだと思う。公明党には60議席から70議席を与えてよい。地域で地道に活動して支持者を増やし、実績を積み重ねている創価学会には、それに相応しい議席を直接に配分してよいではないか。共産党は現時点でも30議席、社民党には15議席が与えられるべきだ。マスコミが政治の主導権を握り、風を吹かせて二大政党の片方を大勝させてしまうようなシステムは間違っている。それは日本の民主主義をよくするものではなく、逆に民主主義を殺してファシズムに導くものだ。小選挙区制は日本の民主主義をバージョンアップさせると言った後房雄は、山口二郎の英国モデルと同じパターンで、イタリアの二大政党制と「オリーブの木」を愚神礼賛した。目の前にある前原民主党は、二人が礼賛したモデルとは似ても似つかぬように見えるのだが。バージョンアップところか、ストールして、ハードディスクが壊れてるぞ。

後房雄、君はイタリア産オリーブの輸入卸売業はやめたのか。オリーブの売り子はどうしたのだ。
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by thessalonike | 2005-09-21 23:30 | 郵政民営化 ・ 総選挙 Ⅱ (15)   INDEX  
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