アラファト議長の死によせて - 「オリーブを落とさせないで」
b0018539_10563143.jpgアラファト議長について印象に残っているのは、74年の国連総会での演説で、詳細は忘れたが、「私はここに平和の象徴であるオリーブと闘争の象徴である拳銃を持ってきた。どうか私の手からオリーブを落とさせないで欲しい」と訴え、第三世界諸国代表を中心に満場の拍手を受けた出来事があった。45歳のときの桧舞台。国連総会の席上に実物の拳銃を持ち込んだのは、アラファト議長が最初で最後だろう。あの頃のアラファトはまさにカリスマ的な英雄だった。日本にも何度か来て、その都度、都心の街頭で右翼の街宣車が騒いだ。十年ほど前、久米宏の「ニュースステーション」に生出演していた記憶もある。小柄な体で、子供のような純真な大きな瞳をくるくる動かし、ときに微笑み、ときに真剣に見据え、パレスチナの窮状とイスラエルの非道を訴えていた。言葉と表情に説得力があり、魅力的であり、見る者を釘づけにした。



b0018539_10564692.jpg晩年については評判がよくない。アラファトの独裁とPLO内部の腐敗の問題については、サイードがみすず書房の例のシリーズの中で告発しているのを読んで初めて知った。私は必ずしもサイードの意見に同調はしない。なぜなら政治家は評論家ではなく、置かれた状況の中で、その時々に最善の判断と選択を下さなければならないからである。後継者を決めておかなかった点がマスコミに責められている。だがパレスチナとPLOの置かれた状況をよく考えてみればよい。アラファトが誰かを後継者に指名したらどうなるか。次の日にイスラエル軍の特殊部隊によって殺害されただろう。そうやってイスラエルは何人ものPLOの幹部を暗殺してきた。優秀で有能な者ほど先に殺した。80年代はよくその記事が新聞に載っているのを見た。ベイルートで、チュニスで、ロンドンで。朝日新聞の国際面で「PLO幹部暗殺さる」の記事(当時のNo.2も含めて)を何度も見た記憶がある。

b0018539_1057440.jpg後継者は決めるに決められない状況があった。イスラエルは有能な人間から先に殺して、無能な人間だけを残し、アラファトだけには手を出さずに生かせてきたのだ。その結果、クレイやアッバズのようなイスラエルに都合のいい無能な人間だけが生き残っているのである。隠し資金の問題についても同じだろう。パレスチナ国内で管理できる場所はなく、国外に秘密口座を持たなければいけないが、情報がモサドに漏れたら一瞬のうちに金庫は破られる。厳重な秘密の下で保管せねばならず、機密はアラファトが持つ以外にない。ファタハの軍事部門であるアルアクサ殉教団の武闘資金は当然その口座から拠出されているし、PFLPのイスラム聖戦機構の活動資金についてもその可能性はある。パレスチナはイスラエルと戦争状態にあるのであり、国庫の資金が軍事資金となるのは当然だ。敵に奪われたり、収支が漏れ出るような管理はできない。

b0018539_10571926.jpgアラファト議長に対する独裁とか腐敗の批判は、真実を衝いている面も少なからずあるだろうが、それ以上に、イスラエルのプロパガンダに乗せられている真実をよく自覚するべきではないか。イスラエルはアラファトを腐敗した独裁者のイメージに塗り固め、権威を失墜させたいのであり、アラファトの過激思想と失政と老害によってパレスチナはここまで追い込まれたのだという筋書きで世界中の人間を納得させたいのだ。イスラエルによる現在のパレスチナ支配を正当化する論理的根拠(自業自得論)をメディアで固めているのである。結局、サイードが先に死に、アラファトが一年後に死んだ。病気を治癒させるべく飛んだパリで何故これほど早く病死してしまうのか。死因に疑いが持たれている。サイードは自分の健康問題について、これはひょっとしたらネオコンとイスラエルが何か仕掛けたのではないかと疑った事はなかっただろうか。

b0018539_10573735.jpgアラファトの政治については現在での評価は難しい。オスロ合意(=ミニ国家)の決断でも悩んだだろうし、合意した後も悩み続けただろう。実際にはオスロ合意の中身をどんどん変えてそれを有名無実化して行ったのはイスラエルの方なのだが、新聞ではアラファトが00年7月のキャンプデービッドで東エルサレムに固執して妥協しなかったからオスロ合意が反故になったかのように言っている。アラファトを悪者にしている。国際的に応援の手がなく、イスラエルにやりたい放題やられている弱者のパレスチナに問題の責任を押しつけて済ませているのだ。ラビンの暗殺がなく、シャロンの岩のドーム侵入の挑発がなければ、その後に続くいわゆる「暴力の応酬」なる事態もなかった。オスロ合意を破談にしたいのはイスラエルであり、オスロ合意を抹殺するためにイスラエルはあらゆる手を使ったのだ。アラファトは最簿まで無念だったに違いない。合掌。
b0018539_1353074.jpg
Today I have come bearing an olive branch and a freedom fighter’s gun. Do not let the olive branch fall from my hand. I repeat : do not let the olive branch fall from my hand.
[PR]
by thessalonike | 2004-11-13 22:53 | テロ ・ イラク戦争 (3)   INDEX  
<< 『いま、会いにゆきます』(6)... Indexに戻る イタリア映画『特別な一日』(1... >>